百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

労働組合の限界(3)

現実として団交を拒否されているのは確かなので、こちらとしても微温的な対応ばかりしているわけにもいかなかった。
なんとか社長を交渉のテーブルに着かせるきっかけは無いだろうか、ということで、県の労働組合連合会のアドバイスを得て、委員長が考えた方針が「36協定の締結をてこにする」ということだった。

今までも一応「社員過半数代表者」というのがいた。去年の過半数代表者がそのまま労組の委員長になっていて、かつ、組合員も社員の過半数を超えているので、締結団体としての資格は満たしている。
36協定はだいたい一年を締結期間として結んでいた。これを、2、3ヶ月くらいの短い期間であえて結ぶようにし、36協定の期間満了が近づいてきたときに、協定締結にいわば「かこつけて」団交を申し込むようにすれば、少なくとも締結期間ごとに団交を開くことができる。団交を拒否すれば「それなら36協定を締結しません」と言える。36協定を締結しなくても、社員が困ることは何もなく、困るのは使用者のほうであるから。

このねらいは的中した。途中で東日本大震災があったりしたせいで、組合結成から半年近くを経過したが、なんとか第一回の団交にこぎつけることができた。

ところが、
私は都合が悪くて、この記念すべき第一回目の団交には出席できなかったのだが、これがもう、文字通りお話にならない有様だったという。
組合側が何を言っても、「それは文書でよこしてください」の一点張り、要は「この場で実のある回答をする気はさらさらないからね」と言っているに等しい。
後はただ社長の一方的な説教のみ。いわく、いまどき労働組合なんぞ時代遅れも甚だしい、いままで会社と社員が一致団結して頑張ってきて、しかもこの情勢が厳しい中、なぜ会社と社員の間に亀裂を入れるようなことをするのか…

第二回目の団交ではテコ入れを図るため、県労連の事務局長にもオブザーバーとして参加してもらい、かつ、できるだけ多くの組合員にも参加してもらうよう呼びかけた。
7月末、二回目の団交が開かれた。会社の会議室がいっぱいになるくらいの人数が集まり、比喩的な意味でもそのままの意味でも、熱気が高まっていた。

ところが、これもまた、結果からすれば空回りだった。大勢の社員が集まり、県労連事務局長が熱弁をふるったにもかかわらず、具体的な成果はほとんどなかった。
とにかくもう、社長の言うことが典型的な「官僚的答弁」なのだった。何を言われても「検討します」「善処します」としか言わない。具体的に何をどう検討するのか、そういう言質を取られそうなことは一切言わない。
それでいて、「昇給」「賞与アップ」といった、具体的に金を出さなければならないことについてははっきりと拒否する。「それは経営的な判断であり、君らに口出しされるいわれはない」と。
もう耳にたこができるくらい聞いている「リーマンショック以来~」の言葉。一体何年前の話をしているのだろうか。
社員が自らの窮状を話そうとすればそれを途中で遮り、「そんなことは言われなくとも分かっている、ただ売り上げを上げなければ給料はあがらないのだ。そんなことは自らの売り上げをあげてから言ってほしい」という。売り上げのどのくらいの割合が社員の給与となっているのか、それを明らかにしないままそういうことを言うのはフェアではないのだが、そんなことはお構いなしである。

さすがに、労働組合ができれば多少は変わるのではないか、そう今まで思ってきた。
しかし、ここに至ってその気持が揺らいできた、おそらく、この男はどうやっても変わらないのではないか。

(続く)