百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

身勝手な理屈

私の今の仕事場は、東北地方では最大手の某ITベンダーである。
そこのイントラネット内で、本部長のホームページが公開されており、そのコンテンツのひとつとして、商工会議所の機関誌に掲載された文章が紹介されていた。
題して「組織人として生きる極意」だそうである。

こんな文章から始まる。

「会社というところは甘えの許されない、堅苦しいところだ。
これまでのあなたの考え方が根底から変えられることもある。
(中略)
特に、会社のトップ(社長)と若い社員との意識には、大きな隔たりがある。
社長の常識も社員にとっては非常識に映ることもある。
そんな常識を問い直すきっかけになるのでは?」

以下、いろいろなことが書かれているのだが、その中に次のような文章があった。

「■「給料」は誰がくれる?
●社員の本音
会社が社員の働きに応じて毎月定額を支払うもの
●会社の常識
お客さまからいただくもの。業績が悪ければカットやダウンもある。
給料の源をつくっているものは何か。売上であり、利益であり、当社の商品を買ってくれるお客さまである。」


待たんかいこら。

確かに、個々の従業員が、「自分の給料の源は利益だから、利益を上げるために努力しなくては」という心構えを持つことは、プロ意識を高めるという点でも、必ずしも悪いことではない。
だからといって、経営者が自ら「業績が悪ければカットやダウンもある」と言ったらそれは単なる開き直りじゃないか。

経営がうまくいかないことによって蒙る損失は、基本的に経営者が負担すべきリスクなので、それを従業員に転嫁するのはお門違いだろう。
これが「従業員と経営者」だとまだわかりにくいかもしれないが、たとえば次のような話ならどうか。

仮に、商用サイトを作るため、どこかのWEBデザイナーにサイトの作成の仕事を依頼したとする。
ところが、サイトはできたものの、予想したほど客が来ず赤字になったとしよう。
そのとき「利益がないから報酬も無しね」なんてそのデザイナーに言えるだろうか、言ってそれで通るだろうか、という話である。

これと同じ話ではないか。

そりゃ現実問題「無い袖は触れない」という場合もあるから、給料が未払いになることも時にはありうるけど、そういう時経営者は「本当に申し訳ない」って従業員にまず謝るのが筋だろう。
それを「業績が悪ければカットもある」なんてふんぞり返っている場合かと。
ましてやそんなことを「会社の常識」にして、従業員まで洗脳しようとしてはいかんだろう。無茶苦茶である。


なんだか、こんな当たり前の話を力説しなきゃいけない自分が情けない。


私はあるソフトハウスから、この文章が公開されているベンダーに派遣されてきている。このソフトハウスの社長が、上のような話をたとえ話ではなく本当にやったことがある。 幸いにして私は被害を受けていないが、あるプロジェクトにアサインされた別の社員の人が、そのプロジェクトが結果コケてしまったので「利益が無いから給料なし」ということを言われてしまったのである。
もちろん、その人は猛烈に抗議したが、馬耳東風だったと言う。
最初聞いたときは信じられなかったが、実話である。

この社長については、他にも同様の話はあるが、省略する。
そのせいで、私の会社は三ヶ月に一人の割合で誰かしら辞めていく、という状況になっている。
そのくせこの社長、口を開けば「人材が足りない」「人材が定着しないので困っている」と言う。
言ってることとやってることがまるで噛み合っていないことに、当人だけが気づいていないのである。

私の会社の社長と同じような悩みを抱いている経営者は多いらしい。
こうした風潮が、フリーターやらニートやらの増加とあいまって「最近の若者は辛抱が足りない」という認識を生んでいるのであろう。
その認識の妥当性はとりあえずおいといて、経営者の側も「辛抱が足りない」などという前に、自分の「常識」が若者にそっぽを向かれているのかもしれない、という可能性を少しは考えてみたほうがいいようにも思う。

思うに、上のようなお説教をたれても、それで従業員がやる気に目覚めるなどという可能性は低く、むしろお説教の背後にある経営者の身勝手さを敏感に感じ取って、ますますやる気を失うだけだろう。


またむきになってしまった。


(2006年6月27日のmixi日記からの転載)