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百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

幸せになる才能

これを読んで、何とも複雑な気分になった。

新婚二ヶ月で妻に逃げられたんだが、もう俺は限界かもしれない。

上についてのはてなブックマークでのコメント


もちろん、これの筆者である@TanTanKyuKyuにもかなり問題はあると思う。
そもそも最初の出会いの段階で、生活保護を受給していたにも関わらず、彼女に同情した余り「うちに来い」と言ってしまった時点で軽率だし、入籍するに至ってはますますそうだろう。(いくら、虐待をしていたとされる母親から、彼女を救いだすためだったにせよ。)
一番の問題は、自分が病気で、なおかつ、相手も精神疾患を抱えていて、その状態で結婚しようとしたことだろう。もちろん、当人は善意からのことだったのだろうけど、これで結婚生活がうまくいくのを想像するのはかなり難しい。
就農しようというのも、実家が農家とか農地を保有しているとか、あるいは前に農業をやっていたとかいうならまだしも、そうでなければ少し非現実的だ。
彼女名義の資産があることがわかったので生活保護を抜けるというのも、正直ともいえるが、現実問題として「どうやって生活するつもりだったのか」という疑問が残る。失業保険をめぐる問題では同情の余地はあるけど、そもそもの第一歩が結局間違っていたのだ、とも言える。「彼女の資産目当てに結婚した」と、もちろん主観的にはそんなことは全く思ってなかっただろうけど、結果からすればそう言われてもおかしくない。
それでいて、同じように心の病を抱えている人を援助したがる傾向のある他人を、「メサイア・コンプレックス」と呼んで非難するのは筋が通らない、「あんたも同じ穴のむじなだ」と言われたらどうするのか。


とまあ、つっこむことはいくらでもできる。
けれど、上のブックマークでコメントしている人々のように、この筆者を非難できるかというと、私はそんな気になれない。
なんというか、奇妙な言い方かもしれないが、「生きていく才能」「幸せになる才能」というのに極端に乏しい人、というのはときどきいるからだ。

言わなくてもいい余計なことをいい、まったくする必要のない喧嘩をし、そのアフターケアも絶望的なまでに拙劣、という人が。
人生の岐路に立たされたとき「ああ、なんでよりによってそっちに進むのか」と言いたくなる人、そのくせそういう人に限って、自分の力量もキャパシティも顧みず人を助けたがるが、結局は共倒れになってしまう、そういう人が。

そういう人を、数多く私は見てきた。
この筆者も、そういう類の人だろう。


確かにこの筆者は軽率だ、傍迷惑でもあろう。けれども彼はまず病気なのだし、それに、彼の軽率さ、浅慮によって最大の罰を被っているのは、結局は彼自身なのだ。
他人がさらに罰する必要がどこにあるだろうか。


それに、才能の欠如、というのはこれはもうどうしようもないことだ。酒が飲めないなら飲まなければいいだけだし、音痴ならばカラオケを歌わなければいいだけだ。
けれども、「生きていく才能」がないからといって生きるのをやめる、というわけにもいかない。

彼は彼の業を背負って生きていくのだろうし、周囲はほどほどにあしらう、それしかないように思う。