百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

名前を騙られるということ(3)

それからまた1か月ほど、何も起きない平穏な日々が続いた。

そんなある日、突然、私が運営していた掲示板に、激しい怒りを帯びた投稿があった。
いわく、私のサイトの掲示板にお前から酷い投稿があった、お前(私のこと)は本当に人間なのか、人間の心を持っているのか、お前は最低だ、という。

当惑した。そんなことを言われるような覚えが全くなかったからだ。「私のサイトの掲示板に投稿」といわれても、その人のサイトを見たことすらないというのに。

しかたなく、その投稿の主相手に次のようにメールを送った。―――信じてもらえないかもしれないが、わたしはあなたのサイトを訪れたことがないし、そのようなことは初耳である。
実は、一か月ほど前、私の掲示板でこういうこと(成りすまし)があった。おそらく、その投稿主が私の名前を使っているのなら、その時成りすました者と同一人物である可能性が高い。この話をもし信じてもらえるなら、あなたのサイトを確認したいので、URLを教えてもらえないだろうか―――

そうすると、そのサイトのURLを記したメールが返信されてきた。さっそく、そのURLからたどっていくと、掲示板にまさに私の名前で、次のような書き込みがあった。
そして、投稿には、私のメールアドレスと管理していた掲示板のURLまで記載されているのだった。


 うつ病になるヤツなんて最低さ
 この世に存在する資格無し
 存在自体がうざいんだよ
 おまえら皆さっさと自殺してくれ
 世の中から落ちこぼれがなくなってさぞすっきりするだろうな


そのサイトは、うつ病の人たちが集うところだったから、それは先方が怒るのも無理はなかった。
他にもいくつか似たような投稿がなされていた。その人の話によると、削除しても削除してもすぐ同じ投稿がされるので、大変に困っている、とのことだった。

そして、ほどなくして他のサイトの所有者からも、同じような苦情がきた。
それらのすべてについて、まず「ご迷惑をおかけして申し訳ない」と謝った。よく考えれば、なぜ謝らなければいけないかわからないのだが、とにかく先方の怒りを静めなければならない。
そのうえで、今までの事情を伝え「これは確証を出せるものではなく、信じてもらうしかないが、私はそのような投稿はしていない」ことを強調し、「大変申し訳ないのだが、今後同様の投稿があったら、掲示板荒らしとしてしかるべき処理をしていただきたい。そのことで協力できることがあればこちらとしても協力は惜しまない」ともいった。


私はほとほと困ってしまった。
自分の管理するサイトでなされたのなら、まだ自分でできることもある。しかしこの件は、自分でコントロールできることがほとんどないのだ。
ひたすら謝って(繰り返しになるが、これって本当に俺のせいなんだろうか、と思いつつ)、「ご理解とご協力」をお願いするしかなかった。

その当の人物に「こういうことを他のサイトから言われてきてるんだが、お前の仕業じゃないだろうな、お前の仕業だとすればいい加減にしろよこの野郎」という趣旨の(表現はもう少し穏やかに)メールを送った。
予想通りではあるが「俺の仕業だっていう証拠があるんだボケ、言いがかりもたいがいにしろ」という趣旨の返事が返ってきた。」まあそうだ、認めるわけがない。
それに、証拠は無い。とりようもない。ただ「お前のその性格こそが証拠だ」と思ったが、それはもちろん言わなかった。


唯一救いだったのは、その荒らしにあった各サイトの持ち主の方々がみな、私の説明を信じてくれ協力してくれた、ということだった。こんなどこの馬の骨とも知れない人間が「信じてください」と言ったところで普通信じないだろうと思うのだが、とにかく、それはとてもありがたいことだった。
いや、それを言うなら、私の管理していた掲示板に連日私の名を騙って誹謗中傷や卑猥な文言が書き込まれていたときでも、掲示板の常連の方々はみな私に同情し、表だって私のことを非難する人はいなかった。本当はそうされても仕方ないのに。

つまり、ほとんどの人は私の味方だった。それはとても、とてもありがたいことだった。


上のような状態が、断続的にまた1か月は続いた。
さすがに後のほうになると、その被害を受けたサイト主の中には、攻撃がなかなかおさまらないので、「この人は自分が書き込んだんじゃないと言ってるけど、本当は…」と疑い出す人も出てきたようだ。
しかし、それも結局、1か月ほどで止んだ。


理由は分からない。
疲れたのかもしれない。飽きたのかもしれない。
向こうの目的がなんだったのかを推測してみると、こういうこともいえるかもしれない。すなわち、向こうの目的はおそらく次の二つだった。一つは、私を肉体的、精神的に窮地に追い詰め、破綻させること。もう一つは、私の信用を失墜させること。
前者は奏功しかけた。だが、後者については、ほとんど傷ついたところはなかった。
「やつ」は、究極的には失敗したのだ。


これがこの件の最後のエントリーなので、何か締めというか、教訓めいたものを書いて結びにすべきかと思ったが、やめる。とりあえず、「昔こんなことがありました」という話、ただそれだけの話として読んでもらえれば、それで十分だ。