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百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

24時間テレビについて思うこと

私は「24時間テレビ」が大嫌いである。
よくもまあ、ここまで私の嫌いな要素を盛り込んだもんだ、と思うくらいなので、私は見ないのだが、しかし「24時間テレビ」を止めるべきだとは思わない。むしろ、今後もぜひ続けて欲しい、とすら思っている。私は見ないけど。

なんだか矛盾したことを言っているようだが、実はそうではない。以下説明する。

「24時間テレビ」を「偽善者の祭り」と評する人もいるが、私はあれは「偽善」ではないと思っている。
「偽善」というのは、「当事者はよいことをしようとして一生懸命なのだが、結果は害しかもたらさない」ということを指す。
「24時間テレビ」で集まった募金は、現実に何かの役にたっていることは確実だから、だからあれは「偽善」ではない。
「悪趣味」と評するのが正しいように思われる。

世の中にはあの手の「悪趣味」が好きな「善男善女」は大勢いる。
その手の「善男善女」は往々にしてセンスが欠如しているし、頭もそんなにいいとは思われない。
そんな人々に金を持たせてもろくなことに使わないだろうし、どのみち募金する金など、引出しの隅とかに隠れていた小銭にすぎない。
そういう「役にたたない金」を巻き上げる、もとい、市場に還流させ、公益に役立たせるという貴重な役割をあの番組は果たしているのである。
だから止めるべきではない。

これは想像だけど、あの番組のプロデューサーとか製作スタッフの中核は、きっと内心かなり割り切って作っているのではないだろうか。「泣かせどころをこの辺においとけば、募金と視聴率がこのくらい稼げる」という具合に。
内心では、いそいそと募金するような人を「センスのない、見え見えのメロドラマに踊らされる大衆」と見下していても、実際面ではその大衆にいかに気に入られる物語をつくるか、ということに腐心している、のではないかと。

そんな奴こそ偽善者だ、と思う人もいるだろうが、私はそうではないと思う。
だって、動機がどうあれ、実際に集まった募金は確実に人の役にたつのだから。(勿論、そうやって集まったお金で私腹を肥やさない、ということが前提にはなるが。)

動機がいかに高邁で純粋でも、ろくに人も金も集められない無能人のほうが、よほど「偽善者」ではないだろうか。

 

最近、どうも自分が「いい人」に成り下がっているようで、これでは良くないと思うので、少し毒を吐いてみた。


(2006年8月27日のmixi日記より転載)