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百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

組織において自分を貫くには(書評:鈴木伸元「反骨の知将 帝国陸軍少将・小沼治夫」)

書評 戦略

役所であれ、一般企業であれ、NPOであれ、およそあらゆる組織に生きる人間は、大日本帝国陸軍の歴史を学ぶべきだろう。帝国陸軍、特に昭和初期のそれは、「ダメな組織」が呈するあらゆる症状――大戦略の欠如、現実感覚の不全、合理的精神を欠いた精神論の跋扈、柔軟性の欠如、人事の硬直性、等々――があらわれているからだ。反面教師としてこれ以上のものはないと思う。

そんな帝国陸軍にも、少数ではあるが合理的精神をもって警鐘を鳴らし、軍を変えようと試みた人々がいた。本書の主人公である小沼治夫も、その系譜に属する一人である。 

 

反骨の知将: 帝国陸軍少将・小沼治夫 (平凡社新書)

反骨の知将: 帝国陸軍少将・小沼治夫 (平凡社新書)

 

 

小沼の顕著な業績は二つある。一つは、帝国陸軍の栄光であり自負の源泉でもある日露戦争を徹底的に分析し「わが日露戦史は美化されすぎている」という結論に至ったこと。もう一つは、あの「ノモンハン事件」を分析し、同事件を来るべき近代戦の典型としてとらえ「(このままでは)わが軍は近代戦には勝てない」と結論づけたことである。

日露戦争とその戦史に基づく、当時の戦訓は次のようなものだった。
つまり、大和魂は、米英露などの列強にはない特殊な力であり、これにより敵の物理的な力が我が国を上まわっていても、その差を補って余りあるものだと。具体的には、銃剣突撃こそが帝国陸軍の特色であり、大和魂の精華である、ということであった。
その当時参謀本部の戦史課に勤務していた小沼は、日露戦争に関するあらゆる記録を再検討し、かつ当時実戦を経験した兵、将校に聞き取り調査を行い、次のような結論に達した。
日露戦争における銃剣突撃の大半は実は敵陣地にたどりつく前に頓挫しており、成功した攻撃については、その正面での砲による火力が敵を上回っていたことが成功の主な原因であった、と。
この結論は、いわば帝国陸軍の「公式見解」を真っ向から否定するに等しいものだった。結局、このレポートは上司から「これは上へは出せんよ」と言われ、事実上「お蔵入り」になってしまった。


しかし上に記したような小沼の「思想」は、ノモンハン事件の分析の際にはさらに強化される。
いわく、わが陸軍は銃剣突撃による「肉薄戦」を最大の強みとしてきた。しかしノモンハン事件においては、射撃または突撃すべき敵はその姿を隠し、遠方から火力でもって攻撃してくる、というのが戦場における実相であった。これでは敵陣に近付くことすらできず、わが軍の強みを発揮することはできない。

 

「吾人は、第一次欧州大戦に於いて、『砲兵は耕し歩兵は確保す』なる声を聞きしが凡そ東洋の戦場には縁遠き語として之を見送れり。然るにわれと対戦する敵は今や法に則りつつあるに注意するを要す」(94P)

結論は「火力にはさらなる火力を」ということだ。精神論だけでは兵士の犠牲が増えるだけである。

 

「近代火力戦に耐える為、ますます強固なる戦闘意思を鍛錬すると共に、如何に旺盛なる攻撃精神を有するも適切なる対抗戦力手段を講ずるに非ざれば遂に物質戦力に拮抗し得ざるに至るの真相を深く認識するの要あり」(96P)

この結論も、もちろん勘で得られたものではない。戦場における様々な数値データ(その一部は本書にも紹介されている)を駆使することによって得られた結論である。この姿勢は、現代に生きる軍人ならぬ我々にも学ぶべきことが多いと思う。

ただしこれも(容易に想像できることではあるが)当時の陸軍首脳から「小沼の見方は弱く消極的だ」といった猛烈な反発を受けることになる。
結局、ノモンハン事件自体が一般的な「近代戦」ではなく「特殊戦」という結論に陸軍中央部では落ち着き、「白兵戦優位」の戦闘教義を変えるところまでには至らなかった。


この後、太平洋戦争の開戦を経て、小沼は「あの」ガダルカナルへの赴任を命じられる。目的は現地の作戦指導のためである。
そこで目にしたのは、圧倒的な物量、そしてそれに裏づけられる火力の不足だった。小沼は最初は、敵正面の一点に持てる火力を集中して突破を図る、という案を考えていた。小沼自身の普段の持論に基づいていたが、すぐにそれは放棄せざるを得なくなった。それを可能にするだけの物量、その物量を集中させる兵站があまりにも足らないためである。


人生というのは本当にうまくいかない、と思わざるを得ない。持論はことごとく受け入れられず、自分の力を発揮できそうな局面が来たと思っても、その持論を試すだけの現実的な条件には全く欠けている。
それでもやる、やらざるを得ない。それは何の為だろうか。

「それは任務のため、命令のためなんですよ。そういう任務を受けたからには、死力を尽くしてやらにゃいかんということですよね。(中略)会社なんかだと、社長の命令が悪かったらやめられるけれどもね。軍人はやめられない」(176P)

前段はともかく、後段には首をかしげる人が多いだろう。現代の会社だって、「社長の命令が悪かったらやめられる」だろうか。

このエントリの表題は「組織において自分を貫くには」である。小沼治夫の人生は確かに「自分を貫いた」人生ではあったかもしれない。ただ、それによって自らが所属する帝国陸軍という組織を変えることには、結局は失敗したと言わざるを得ない。
してみると「自分の信念を貫く」というと聞こえはいいが、おそらく組織を変えるのには、それだけでは足らないのだろう。

ではどうすればいいのか、ということについては、私はまだ、わからない。