百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

反原発と尊王攘夷

原発デモが盛んである。
首相官邸の前で20万人集めたとか、いや警視庁の発表では7万人だとか、いろいろ言われているが、とりあえず人数が20万人でも7万人でも、私にとってはどちらでもよい。
どちらにしたってかなりの人数で、それだけ多くの人が集まっているということは、まるでマグマのようなエネルギーが、我が国の政治風土の地下にふつふつとたぎっている、ということだと思う。それは確かだろう。

そうではあるのだが、私自身の気持ちは、なぜか妙に冷めている。
率直にいえば、「くだらない」とすら思っている。

2011年3月11日の大地震と大津波、そしてそれによって引き起こされた原発事故以来、日本のエネルギー政策について(もっといえば、日本という国そのものについて)「今まで通りでよい、このままでよい」と思っている人はほとんどいないだろう。かく言う私も、「今までどおりでいいわけがない」と思っている一人である。
それなのに、なぜ、反原発デモに対して、冷めているのか。


そのことについて考えたとき、この感覚はどこかで見たような感覚であることに思い至った。
つい最近、司馬遼太郎の「峠」という小説を読んでいた。
これは、幕末の越後長岡藩を率いて官軍と戦った河井継之助を主人公にした歴史小説だが、それの最初のほうで、こんな場面があった。
司馬遼太郎の小説を引き合いに出して話をするなぞ、つくづく自分もオヤジになったものだと思うが、実際オヤジには違いない年齢なので、その点についてはご勘弁願いたい。)


河井継之助は、青年期に江戸のある学塾に遊学していた。その頃、ロシア艦隊が品川沖までやってきて無理難題を持ちかけた、という事件があった。塾生の多くはこの事件に憤慨して、「ロシア艦に斬り込んでやる」と激語する者もいるが、継之助は同調しない。

 

 継之助は、鼻で笑った。かれには胸中ひそかに期するところがあり、塾生たちの日本刀的攘夷論にくみせず、それがはじまるとさっさと部屋にもどってしまう。

(中略)

急務はあの連中と互角の勝負がやれるように砲も艦もそろえることだ。その前に、その砲や艦をつくり出す国家をつくることである。(中略)それが急務であり、おれが日夜身を焦がして考えているところである、と継之助はいう。
「おれはそういう頭脳だ。ここに、織田右大臣(信長)、上杉不識庵(謙信)、豊太閤、東照権現(家康)を連れきたっても、みなおれと同じことを考えるだろう。かれらが、いまの志士気どりの連中のように、日本刀をひっつかんで品川まで空っ脛をとばすようなばかはすまいぜ」

司馬遼太郎「峠」より)


そんな折、継之助の塾に、小林幸八という男がやってきた。「おらあ、(ロシア人を)殺る」と言いつつ、塾生たちを勧誘していた。継之助が爪を切っている最中に、小林は勧誘の手を継之助まで伸ばしてきた。

 

「(前略)この醜夷の暴状をみて、座してつめを切っている場合でもありますまい。一味に加わりなされ」
「敵は、軍艦七隻だぜ」
ぱちっ、と爪が飛んだ。
「それが、こわいのですか」
「馬鹿だな。敵は七隻も軍艦をならべてやがる。怖かねえというはずがないじゃないか」
「あなたは、日本武士か」
「いよいよ馬鹿だなあ。お前さんのは、盗賊の理屈というものだ」
「盗賊の?」

(中略)

説明してやる、と継之助はいった。人はたれでも金銀がほしいが、しかし百人中九十九人までは盗賊にならない。盗賊というのは幼児のような本性の者で、欲しいとおもえばもう手がのびてそれをつかんでしまっている。盗賊だけでなく町の無頼漢もそうだ。
が、百人中九十九人の正常人は、その金銀を得るまでに気の遠くなるほどの手続きが必要だということを知っている。商いをするとか、職をみがいてそれだけの腕になるとか、あるいは出費を節約するとか、まったく人間というものは偉いものさ。
「それとこれと、どんな関係がある」
「大いにある。ロシア人の暴状をみて腹がたつというなら、こっちも軍艦を造ることだ。七隻はおろか二十隻もつくることだ。」
「迂遠だ」
「そこが盗賊の理屈さ」


幕末に流行った「尊王攘夷」というスローガンの意味するところは何だろうか。文字どおりにとらえれば「尊王」つまり天皇をたっとび、「攘夷」外国人を追い払う、ということになる。外国人を追い払う、ということを最も狭義かつ短絡的に解釈すれば、それこそ軍艦に乗り込んでいって外国人を斬りまくる、ということになってしまう。

でも、幕末の武士は、少なくとも明治維新を進めた主力となった武士たちはそんなことはしなかった。彼らはそんな短絡的かつ視野の狭い発想ではなく、「尊王攘夷」の究極の目的を「日本の独立の保全」ととらえた。
そのためには焦ってはならない、暴発してはならない。戦っても勝つ見込みがないならそれまで力を蓄える。むやみに排外的にならず、むしろ「敵」のよいところは積極的にこれを受け入れる。

幕末から明治にかけての日本が、まったく問題がなかったとはいわない。
でも、大筋では間違ってはいなかった。それゆえに、国の独立を保つことができ、新しい近代国家に生まれ変わることもできた。
おそらく、短絡的で視野の狭い「攘夷」に走った隣国を反面教師にした、ということもあったのだろうけど。


ひるがえって、今の「反原発」「脱原発」運動はどうだろうか。
正直なところ、明治維新の推進者が目指したような戦略性、視野の広さがあまり見えてこないのだ。原発を停止し、廃止できたとして、そのあとどうするのか、ということが。

今とりあえず電力が足りている、と仮にしても、今後もそうかは保証の限りではない。かなり脆弱な基盤の上にエネルギー政策が成り立っている現状であることには、何ら変わりがない。
運動に携わっている人が、私はエアコンなんて要りません、テレビも見ません、というのは心がけとしてはとても立派だが、実効性があるとは思えない。個人とか家庭のレベルで節約できる電気などたかが知れているからだ。
問題は工場とかオフィスとか商業施設だけれど、こうしたところでの節電は経済を委縮させる可能性がある、それをどう考えるか。
ある音楽家が「たかが電気」という発言をした、という。この方がかつて、大量に電気を消費する電子音楽の旗手だったことを思うと実に皮肉な発言だが、それはともかくとして、命の危険に比べれば電力不足など問題ではない、という意味なのだろう。でもこの方が、命の危険と電力不足、経済との問題を天秤にかけてどれほど真剣に検討したかはさだかではない。(おそらく、それほど考えてはいないだろう。)


結局のところ、今の反原発運動というのは、上でいうところの「盗賊の理屈」と変わりないように思えてならない。
とにかく原発は危険だから止めろ、廃止しろ、というのは、夷狄は暴漫だから追い払え、斬り捨てろ、という理屈と共通するところがないだろうか。どちらも、大目的、戦略という視点がなく、目先のことだけにこだわっている、という点で。