百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

謝るな

およそ一年前に起きた誘拐事件の容疑者が卒業した大学が、その容疑者の卒業取り消しを検討している、というニュースが先日報じられていた。さすがにこれは大学内でも「推定無罪」の原則に照らしておかしい、という判断があったらしく、検討だけで実行されることはなかったが。

 

そのニュースに関連して思い出したことがあった。
何年か前に、ある短大の学生が、卒業旅行でイタリアに行き、フィレンチェのある遺跡に記念の意味で落書きをした、ということがあった。それが日本のニュースで報じられ、その学生が叩かれただけではなく、その学生が通っていた短大の学長が謝罪の記者会見を開き、それだけではなく学長自らフィレンチェまで謝りに行った、という。
何年も前の事で、そのニュースの記事も見つけられないので、曖昧な記憶に従ってこれを書いている。が、細部はともかく概要は間違っていない筈だ。
これについては、当時「心温まる話」とか「この学長さんはえらい」とか言って肯定的に受け止めていた人が多かったようだ。
しかし、私は全くそう思わない。
それどころか、おそらくこの学長さんは意識していないだろうけど、この人のしたことは極めて危険な考え方に基づいていると私は思う。

 

なぜそう思うか。
この「事件」はそもそも、短大の教育活動とは何の関係もない、彼女達がただ純粋に遊びに行ったときに起きたことだ。それについてわざわざ学長が謝りにいき、修繕費の提供まで申し出たらしい、ということは何を意味するのか。
要は、教育活動とは何の関係もない、純粋に学生のプライベートな行動についても学校が責任をとる、という意思表示をしている、ということだ。


これは、プライバシーの否定ではないだろうか。


これらの件だけに限らず、誰かが(業務とは何の関係もないことで)不祥事を犯すと、その人の所属している組織(学校とか会社とか)の責任者が出てきて「まことに申し訳ございません、今後は再発を防止すべく管理を徹底し」とかいって謝る、ということがよくある。
責任者が出てきて謝らない場合は、ワイドショーで識者とかいう人が怒ったり、2ちゃんねるでスレッドがたったり、さらにそれをみたどこかのヒマでバカな奴が電話をかけて文句を言ったりする。
私はそういうのをみると、すごくいやーな気分になる。

よく考えてみてほしい。「管理を徹底」とか「責任をとる」とかいうのを本気でやろうとすればどういうことになるか。
組織が、所属員がどこへ行き、何をし、誰と会ったか、どういうウェブサイトを見たか、ブログやら掲示板やらSNSやらに何を書いたか、そういうことを完全に把握して、不適切と見られる行動があれば警告や処分をして抑止を図る。
「管理を徹底」というのは、つきつめればそういうことにならないか。

 

おそらく、文句を言う人々はそこまで考えてはいないだろうし、そんなことをすべきだとも本気では思ってないだろう。
単に自分達が「けしからん」と思った事に対して、脊髄反射的に「責任者出て来い」と騒いでいるだけだろう。
だったら、そんなできもしない「所属員の私的な行動にまで組織は責任をとれ」なんてことを軽軽しく言うべきではない。
そういうことは、結局はめぐりめぐって、自分で自分の首を絞めることになることに、皆気付くべきだと思う。