百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

謝るな

およそ一年前に起きた誘拐事件の容疑者が卒業した大学が、その容疑者の卒業取り消しを検討している、というニュースが先日報じられていた。さすがにこれは大学内でも「推定無罪」の原則に照らしておかしい、という判断があったらしく、検討だけで実行されることはなかったが。

 

そのニュースに関連して思い出したことがあった。
何年か前に、ある短大の学生が、卒業旅行でイタリアに行き、フィレンチェのある遺跡に記念の意味で落書きをした、ということがあった。それが日本のニュースで報じられ、その学生が叩かれただけではなく、その学生が通っていた短大の学長が謝罪の記者会見を開き、それだけではなく学長自らフィレンチェまで謝りに行った、という。
何年も前の事で、そのニュースの記事も見つけられないので、曖昧な記憶に従ってこれを書いている。が、細部はともかく概要は間違っていない筈だ。
これについては、当時「心温まる話」とか「この学長さんはえらい」とか言って肯定的に受け止めていた人が多かったようだ。
しかし、私は全くそう思わない。
それどころか、おそらくこの学長さんは意識していないだろうけど、この人のしたことは極めて危険な考え方に基づいていると私は思う。

 

なぜそう思うか。
この「事件」はそもそも、短大の教育活動とは何の関係もない、彼女達がただ純粋に遊びに行ったときに起きたことだ。それについてわざわざ学長が謝りにいき、修繕費の提供まで申し出たらしい、ということは何を意味するのか。
要は、教育活動とは何の関係もない、純粋に学生のプライベートな行動についても学校が責任をとる、という意思表示をしている、ということだ。


これは、プライバシーの否定ではないだろうか。


これらの件だけに限らず、誰かが(業務とは何の関係もないことで)不祥事を犯すと、その人の所属している組織(学校とか会社とか)の責任者が出てきて「まことに申し訳ございません、今後は再発を防止すべく管理を徹底し」とかいって謝る、ということがよくある。
責任者が出てきて謝らない場合は、ワイドショーで識者とかいう人が怒ったり、2ちゃんねるでスレッドがたったり、さらにそれをみたどこかのヒマでバカな奴が電話をかけて文句を言ったりする。
私はそういうのをみると、すごくいやーな気分になる。

よく考えてみてほしい。「管理を徹底」とか「責任をとる」とかいうのを本気でやろうとすればどういうことになるか。
組織が、所属員がどこへ行き、何をし、誰と会ったか、どういうウェブサイトを見たか、ブログやら掲示板やらSNSやらに何を書いたか、そういうことを完全に把握して、不適切と見られる行動があれば警告や処分をして抑止を図る。
「管理を徹底」というのは、つきつめればそういうことにならないか。

 

おそらく、文句を言う人々はそこまで考えてはいないだろうし、そんなことをすべきだとも本気では思ってないだろう。
単に自分達が「けしからん」と思った事に対して、脊髄反射的に「責任者出て来い」と騒いでいるだけだろう。
だったら、そんなできもしない「所属員の私的な行動にまで組織は責任をとれ」なんてことを軽軽しく言うべきではない。
そういうことは、結局はめぐりめぐって、自分で自分の首を絞めることになることに、皆気付くべきだと思う。

組織において自分を貫くには(書評:鈴木伸元「反骨の知将 帝国陸軍少将・小沼治夫」)

役所であれ、一般企業であれ、NPOであれ、およそあらゆる組織に生きる人間は、大日本帝国陸軍の歴史を学ぶべきだろう。帝国陸軍、特に昭和初期のそれは、「ダメな組織」が呈するあらゆる症状――大戦略の欠如、現実感覚の不全、合理的精神を欠いた精神論の跋扈、柔軟性の欠如、人事の硬直性、等々――があらわれているからだ。反面教師としてこれ以上のものはないと思う。

そんな帝国陸軍にも、少数ではあるが合理的精神をもって警鐘を鳴らし、軍を変えようと試みた人々がいた。本書の主人公である小沼治夫も、その系譜に属する一人である。 

 

反骨の知将: 帝国陸軍少将・小沼治夫 (平凡社新書)

反骨の知将: 帝国陸軍少将・小沼治夫 (平凡社新書)

 

 

小沼の顕著な業績は二つある。一つは、帝国陸軍の栄光であり自負の源泉でもある日露戦争を徹底的に分析し「わが日露戦史は美化されすぎている」という結論に至ったこと。もう一つは、あの「ノモンハン事件」を分析し、同事件を来るべき近代戦の典型としてとらえ「(このままでは)わが軍は近代戦には勝てない」と結論づけたことである。

日露戦争とその戦史に基づく、当時の戦訓は次のようなものだった。
つまり、大和魂は、米英露などの列強にはない特殊な力であり、これにより敵の物理的な力が我が国を上まわっていても、その差を補って余りあるものだと。具体的には、銃剣突撃こそが帝国陸軍の特色であり、大和魂の精華である、ということであった。
その当時参謀本部の戦史課に勤務していた小沼は、日露戦争に関するあらゆる記録を再検討し、かつ当時実戦を経験した兵、将校に聞き取り調査を行い、次のような結論に達した。
日露戦争における銃剣突撃の大半は実は敵陣地にたどりつく前に頓挫しており、成功した攻撃については、その正面での砲による火力が敵を上回っていたことが成功の主な原因であった、と。
この結論は、いわば帝国陸軍の「公式見解」を真っ向から否定するに等しいものだった。結局、このレポートは上司から「これは上へは出せんよ」と言われ、事実上「お蔵入り」になってしまった。


しかし上に記したような小沼の「思想」は、ノモンハン事件の分析の際にはさらに強化される。
いわく、わが陸軍は銃剣突撃による「肉薄戦」を最大の強みとしてきた。しかしノモンハン事件においては、射撃または突撃すべき敵はその姿を隠し、遠方から火力でもって攻撃してくる、というのが戦場における実相であった。これでは敵陣に近付くことすらできず、わが軍の強みを発揮することはできない。

 

「吾人は、第一次欧州大戦に於いて、『砲兵は耕し歩兵は確保す』なる声を聞きしが凡そ東洋の戦場には縁遠き語として之を見送れり。然るにわれと対戦する敵は今や法に則りつつあるに注意するを要す」(94P)

結論は「火力にはさらなる火力を」ということだ。精神論だけでは兵士の犠牲が増えるだけである。

 

「近代火力戦に耐える為、ますます強固なる戦闘意思を鍛錬すると共に、如何に旺盛なる攻撃精神を有するも適切なる対抗戦力手段を講ずるに非ざれば遂に物質戦力に拮抗し得ざるに至るの真相を深く認識するの要あり」(96P)

この結論も、もちろん勘で得られたものではない。戦場における様々な数値データ(その一部は本書にも紹介されている)を駆使することによって得られた結論である。この姿勢は、現代に生きる軍人ならぬ我々にも学ぶべきことが多いと思う。

ただしこれも(容易に想像できることではあるが)当時の陸軍首脳から「小沼の見方は弱く消極的だ」といった猛烈な反発を受けることになる。
結局、ノモンハン事件自体が一般的な「近代戦」ではなく「特殊戦」という結論に陸軍中央部では落ち着き、「白兵戦優位」の戦闘教義を変えるところまでには至らなかった。


この後、太平洋戦争の開戦を経て、小沼は「あの」ガダルカナルへの赴任を命じられる。目的は現地の作戦指導のためである。
そこで目にしたのは、圧倒的な物量、そしてそれに裏づけられる火力の不足だった。小沼は最初は、敵正面の一点に持てる火力を集中して突破を図る、という案を考えていた。小沼自身の普段の持論に基づいていたが、すぐにそれは放棄せざるを得なくなった。それを可能にするだけの物量、その物量を集中させる兵站があまりにも足らないためである。


人生というのは本当にうまくいかない、と思わざるを得ない。持論はことごとく受け入れられず、自分の力を発揮できそうな局面が来たと思っても、その持論を試すだけの現実的な条件には全く欠けている。
それでもやる、やらざるを得ない。それは何の為だろうか。

「それは任務のため、命令のためなんですよ。そういう任務を受けたからには、死力を尽くしてやらにゃいかんということですよね。(中略)会社なんかだと、社長の命令が悪かったらやめられるけれどもね。軍人はやめられない」(176P)

前段はともかく、後段には首をかしげる人が多いだろう。現代の会社だって、「社長の命令が悪かったらやめられる」だろうか。

このエントリの表題は「組織において自分を貫くには」である。小沼治夫の人生は確かに「自分を貫いた」人生ではあったかもしれない。ただ、それによって自らが所属する帝国陸軍という組織を変えることには、結局は失敗したと言わざるを得ない。
してみると「自分の信念を貫く」というと聞こえはいいが、おそらく組織を変えるのには、それだけでは足らないのだろう。

ではどうすればいいのか、ということについては、私はまだ、わからない。

もはや笑うことはできない(書評:渋谷直角「奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール」)

家の掃除をしていた時、自分が昔使っていたノートが見つかる、ということがある。そこにはいかにも若書きの生硬な文章とか詩とかイラストとかが書いてあって、赤面しつつそっと元の場所に戻す、ということがあると思う。
渋谷直角「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」は、いわばその類のノートを盗み見た誰かが、横からそれを朗読してみせるような、喩えて言えばそういうマンガだった。まともな神経をもつ人間なら「やめてくれ!」と叫びたくなるだろう。(そうならない人は幸福だろう、いや、まじめに)
これが「このマンガが酷い! 」の2013年の第一位に輝いたのは故のないことではない。

そして「奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール」は、その渋谷直角のいわば「メジャーデビュー第2作」である。

 

奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール
 

 

いわゆる「サブカル界隈」にいる人々の自意識とその浅ましさを嗤ってみせる、というその姿勢は前作の「ボサノヴァカバーを歌う~」と変わりはない。

しかし、前作でならまだ辛うじて「あー、こういうヤツいたよねー、若いってのはしょうがないねー」と余裕をかますことのできたその余裕は、本作を読んだ後においてはもはや、ない。
正直いって笑えない。もちろん、面白くないからではない、あまりに身につまされ過ぎて、もはや笑う事が出来ないからである。

本作の主人公のコーロキは35歳の編集者、15歳のときに奥田民生を知って以来、奥田民生を人生の師と仰いでいる。ライフスタイル雑誌「マレ」の編集部に異動になったが、同僚たちがあまりにオシャレすぎてついていけない自分を感じている。
そんな中、コーロキは、取引先のアパレル企業の広報担当である天海あかりに一目ぼれしてしまう。なんだかんだあって、首尾よくコーロキとあかりは付き合うことになり、コーロキは「オシャレライフスタイル雑誌の敏腕編集者と、アパレルの美人プレスのカップル」を夢見る、のだが……

いわゆる「サークラ」という言葉がある。バンドとか劇団とか趣味のサークルとかで、割と仲良くやっていたのが、それなりに美人の女の子が現れた途端、メンバーがその女の子の歓心をかう事だけに腐心してしまい、しまいにはサークルそのものを崩壊に追い込んでしまう、という人物または現象を表している。
本作も、その「サークラ」モノだと分類してもいいのかもしれない。が、それだけに納まらないものをやはり私は感じる。

本作のタイトルにもあるし、また、作者自身が好きでもあるのだろう、一回一回の最初に奥田民生についての蘊蓄が語られる。私は、最初のうちは、このウンチクを「うるさいな」と感じていた。何のためにこのウンチクが挟まれるのかよくわからない、とすら思っていた。
ただ、読み進むにつれて考えが変わった。むしろこのウンチクは必要なのだ。コーロキは奥田民生に私淑し、まさにタイトルの通り、奥田民生のような「力まないカッコいい大人」になりたい、と願っている。ところが、回を重ねれば重ねるほど、奥田民生との距離はむしろ遠ざかっていく。力まないどころか眼を血走らせて必死になるばかり、しかも、我々読者からすればその必死さは滑稽を通り越して鬼気すら感じられる、そのことが、回の最初に挟まるウンチクで、否応なしに見せつけられるのである。
そして、ラストから二ページめの表情。いろんなマンガで描かれた表情の中で(自分が見た限りで、という限定付きではあるが)、「切なさ」という点では指折りである。
この表情は「自分が何十年もかけて求め続けてきたものは、もはや決して得ることはできない」ことに気づかされた男の表情である。

そして、最後は「『 カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』に続く」と書かれて、締められる。

もちろん、同じ作者の前作だから、というだけの意味ではない。これはこう書かざるを得ない意味があるので(それは読めばわかる)、だから、本作を読んでまだ前作の「ボサノヴァカバーを歌う~」を読んでいない人は、是非読んでほしい。2作続けて読めば、「ラストから二ページめの表情」がより切なさ、物悲しさを増すことは間違いない。 

 

鬱勃たる青春の日々(書評:松本清張「半生の記」)

松本清張は数多くの作品を世に残したが、作家としてのデビューはわりと遅いほうで、41歳のときに処女作「西郷札」を発表した。それまではずっと、朝日新聞西部本社の広告デザイナーとして勤務していた。

本書「半生の記」は、その作家デビュー前までについて記した自叙伝である。

 

半生の記 (新潮文庫)

半生の記 (新潮文庫)

 

 

郷里と絶縁した不運な生まれつきの父の話から始まり、互いを嫌い抜き喧嘩ばかりしていた父と母、幼少期の貧しい暮らし、上級学校への進学は早々にあきらめ、底辺の職を転々とし、それでもなんとか手に職をつけ生活を安定させたいと願い、苦心の末デザイナーとして認められ、その頃九州は小倉にできた朝日新聞西部本社に雇われるも、正社員との身分差に絶望する―――

 

はっきりいって暗い本である。甘ずっぱいところとか、爽快なところは全くと言っていいほどない。

若いころの話だから、恋話とか、親友と文学とか将来の夢とかについて語らうとか、そういうのがあってもよさそうだが、そういう話もほとんどない。唯一それに近いのは、その頃加わっていた文学サークルの仲間の妹と「結婚したい気持ちはあった」と書いているくだりのみである。(しかし結局「自分の収入ではとても家庭が持てるとは思えなかった」ので「いつまでも何も言わなかった。」)

それならそれで私小説にありがちな放埓な生活をしていたかというと、そういうのとは真逆な生活ぶりだった。生活を安定させたい一心から図案工を志し、夜遅くまで仕事をした後でも、独学で図案の勉強をしたり、日本画の先生についたり、習字の稽古をしたり…どこに行って遊んだとか、旅行したとかいう記述は皆無である。娯楽といえるのは印刷屋勤めの時に覚えた麻雀くらいで、それとても心底楽しんでいるわけではない。

放蕩するような時間的、経済的余裕がなかったからといえばそれまでではあるが、涙ぐましい苦心だ。

 

灰色のつまらない青春、青年期とも言えるかもしれない。でも、昔、小学校を出てすぐ働きに出るような庶民の子の生活ぶりは、だいたいこんなものだったろうと思う。今だって、こういう若者は大勢いるはずだ。

もっといえば、松本清張があまり頭が良くなければ、おそらくは庶民としての生活でも、それなりに充足した楽しい日々を過ごせたのかもしれない。身を粉にして働きつつも、たまに余裕があればすし屋でつまみ、酒を飲むとか、少し女遊びをしてみるとか、そのくらいで十分満足していたかもしれない。

ただ、幸か不幸か、貧しい生まれつきにそぐわない高い知性をもってこの世に出てきたがゆえに、常に「こうあるべき、ありたい自分」と「現実の惨めな自分」とのギャップに清張は苦しみ続けた。

 

その傾向は、朝日新聞に入社した後の記述にも顕著に見える。広告部の仕事といっても与えられた指示通りに図案を描くだけで、自分の独創性の入る余地などない、前述の通り正社員との身分差は明確で、この先の出世の望みもない、上司からもろくに相手にすらされない、「このまま停年を迎えるかと思うと私は真暗な気持ちになった。」「砂を噛むような気持とか、灰色の境遇だとか、使い馴らされた形容詞はあるが、このような自分を、そんな言葉では言い表わせない。」

現代の読者でも、ここの部分には共感する人も多いはずだ。

 

でもよく考えると、高等小学校しか出てない人間が、広告デザイナーという技術者として認められ、なにはともあれ朝日新聞という一流会社(当時においてもこれは変わりない)に就職できたのだから、本当ならもっと喜んでいてもおかしくはない。たぶん、ほどほどの知性、ほどほどの自負の持ち主なら、そうしていただろう。

でも松本清張にはそれができなかった。ド・ゴールが昔、士官学校の生徒だった頃の教官がド・ゴールを「将軍にでもならなければ満足しそうもない顔をしていた」と評したことがあるらしいが、清張もおそらくその類の人間だったのだろう。

 

 

この本は暗い本ではあるのだが、ただ、どこか完全には真っ暗になっていない感じを受ける。それはおそらく、この自叙伝の語り手の、この自叙伝では語られていない後半生が、前半生の鬱屈を吹き飛ばすかのような栄光に満ちたものであることを(本人はどう思っていたかはわからないが)、読み手である我々が既に知っているからだろう。

そして、後半生からの視点に立てば、前半生の苦闘は決して無駄ではなかったと言える。短編、長編を問わず、清張の小説には「貧しく賎しい生まれつきの主人公が、上昇志向を果たそうとする(そして、多くの場合は失敗して破滅する)」というのがとても多いが、それはつまり「もしかするとありえたかもしれない自分の人生」を描いていた、ということだろう。

 

松本清張が後半生において成功したことは、彼にとっては(そして後世の読者である我々にとっても)幸運だったに違いない。ただ、もし、後半生においても芽が出ず生涯を終えることとなったとしたら、そのときには彼の魂は、何を感じただろうか。

 

 

ちなみに、松本清張太宰治は同年生まれであるが、太宰治は39歳で自殺している。つまり、太宰の人生が終わったところから、作家・松本清張の人生が始まった、というふうにも言えるかもしれない。

亡国の民に幸福はあり得るか(書評:古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」)

ちょうど2年前に出て、話題になった本である。内容の概略や感想は様々な媒体ででていたので、なんとなくは知っていたが、今に至るまできちんと読んではいなかった。もともと「いま話題の」という言葉がつくとそれだけで拒否反応を示してしまう偏屈者なので、話題になった時点ではあまり読む気が起らなかった。

著者の古市氏については、エッセイとか、インタビュー記事とか、対談とかでその言葉にふれる機会が何度かあった。その度に思ったのは「言ってることは正しいとは思うが、何故かしら苛立ちを覚える」ということだった。ただ、その理由を明確に言語化できない以上、批判は差し控えるべきだとも思った。「何か知らないけどあいつムカつく」では話にならないから。

今、この本を初めて読んで、その苛立ちの根源がようやくわかった、ような気がした。

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

 

 

本書の中心仮説は「現代の若者は自分たちのことを『幸せ』だと感じている」ということだ。

就職難、格差の拡大、増加する非正規雇用、ワーキングプア…これらの問題の故に、今の若者は「かわいそう」と外からはみなされることが多い。にもかかわらず、当事者である若者たちの多くは、今の生活に満足している。その割合は過去のどの世代が若者だった時期よりも高い。それはデータによって裏づけられている。

おそらく、この結果には「意外」と感じる人が多いはずだ。

 

では、何故そのような現象が起きるのだろうか。人はどんな時に「自分は不幸だ」と思うのかというと、「今は不幸だが、将来はより幸せになれる」という希望がある時だ、という。逆にいうと、もはや将来に希望がいだけないときは、「今は幸福だ」と答えるしかない。つまり、今の生活に対する満足度の高さは、将来に対する希望の低さと一対の関係にある。

また、この現象は「コンサマトリー化」という別の観点からも説明が可能だ、という。コンサマトリーというのは「自己充足的」という意味だ。何らかの大きな、または未来の目的のために生きるより、「今、ここ」に生きる、身近な仲間たちとのささやかな幸福を大事にする、という姿勢が広まることを「コンサマトリー化」と呼んでいるわけである。これも「大きな目的、未来に生きることがもはやかなえられないので、仕方なく」というニュアンスをあらかじめ帯びている。

 

ただ、そうはいっても、人間というのは、「今、ここ」だけになかなか飽き足らない。どうしても空間的、時間的により大きなつながりを求めてしまう。その表れが、たとえばサッカーワールドカップへの熱狂であり、社会貢献への関心であり、もう少しアクティブになれば保守系運動への、あるいは震災復興ボランティアへの、あるいは反原発デモへの参加、という形をとることもある。

 

ここで特筆すべきなのは、「より大きなつながり」を求める人間にとっての、ナショナリズムというものが果たす役割である。著者はナショナリズムを「魔法」「ここ数百年の中で人類が発明した最大の仕掛けの一つ」と呼ぶ。これがあるがゆえに、血縁も地縁も全くないもの同士が、同じ国の民(たとえば、日本人)としてひとつの「想像の共同体」の一員としてつながることができる。これがあるからこそ、親類縁者でもなければ面識もない日本代表チームの選手の活躍に熱狂することができる。

 

 

―――ここまでの現状認識、および説明は、おそらく正しいだろう。ここまでなら、私にも異論はない。

私が引っかかるのは、この後の、ナショナリズムへの評価をめぐる話である。

著者は、ナショナリズムの意義をある程度のところまで認めつつも、究極的にはかなり批判的な結論を出す。

ナショナリズムが生まれたがゆえに、それまでは王と王の傭兵だけで戦われた戦争が、国民全体を巻き込む総力戦と化し、それまでとは桁違いの犠牲を生む。 

 

これはナショナリズムという魔法の、最大の欠点だ。致命的な欠陥だ。

(中略)

だったら、もういっそそんな魔法は消えてしまってもいいんじゃないか。

もちろん、日本という国家は消えないだろう。少なくともインフラ供給源としては残り続けるだろう。それは結果的に、暴力の独占と徴税機能という国民国家の役割を引き継ぐことになる。

だけど、ワールドカップの時は大声で日本を応援しても、試合が終わればすぐに「お疲れ様」とさっきまでの熱狂を忘れ、アメーバニュースで「異性の気になるところ」というニュースを読んで友達と盛り上がり、戦争が起こったとしてもさっさと逃げ出すつもりでいる。そんな若者が増えているならば、それは少なくとも「態度」としては、非常に好ましいことだと僕は思う。国家間の戦争が起こる可能性が、少しでも減るという意味において。(153P)

 

 わからない。何故なら、上記のような若者が増えたとしても、戦争が起きる可能性は少しも減らないだろう、と私には思えてならないからだ。

話の一部についてはわからないでもない。これは前にもどこかで言ったことがあるが、私は、戦争からもっとも遠い人間というのは「いかなる主義主張もなく、守りたい理想もない、自分のことしか考えてない人間」だと思っている。上記のような若者像はかなりそれに近いもので、そういう若者が増えれば、戦争の可能性は減るように見えるかもしれない。

でもそれには重要な前提がある。戦争は一国だけで起こすことができない、必ず相手を必要とする。だから、自分とこだけでなく相手の国でも、できれば世界中すべての国で「戦争が起こってもさっさと逃げる」人間が多数を占めなければならない。

そうでない限り、たとえば日本だけで上記のような人間が増えたとしても、少しも戦争が起きる可能性を減らすことには結びつかない。むしろ、逆効果であろう。

 

 

ただ、実は著者は、私が上記で賢しらぶっていうようなことなど、とっくに織り込み済みなのである。

本書では若者たちの対抗暴力の放棄をさも評価するように描いたが(第三章(ブログ筆者註:先に引用した箇所))、一方でいわゆるミュンヘンの教訓、ナチス・ドイツの問題に対して、いかに武力行使以外の方策があるかを十分に示し切れていない。(266P)

 

 ところが、そのすぐ後に続く文章にはこうある。

しかし、政府が「戦争始めます」と言っても、みんなで逃げちゃえば戦争にならないと思う。もっと言えば、戦争が起こって「日本」という国が負けても、かつて「日本」だった国土に生きる人々が生き残るのなら、僕はそれでいいと思っている。

(中略)

「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人一人がいかに生きられるか、ということのはずである。(267~268P)

 

よくわからない。

冒頭の一文は全く理屈がつながらない。それ以降の文章も反発を感じる人が多いかもしれないが、単なる字面だけならば私には異存はない。問題は、「日本という国がなくなった上で、そこに生きる人々が幸福、という状態」がどうしてもイメージできないことだ。

これは、私の頭が固いためだけでは必ずしもないと思う。古今東西どこの歴史でも、亡国の民というのは不幸な目にあい、辛酸をなめるのが通例であって、未来の日本だけが例外になるとは考えにくいからだ。

 

何も、他国に侵略されて日本が滅びる、という極端な例をあげなくともよい。財政破綻、他国の干渉による傀儡化、政府以上に強大な暴力組織が存在する、などの理由で、政府は形だけ存在しても事実上機能していない、という場合は現代でもよくある。そういう状態で「アメーバニュースで『異性の気になるところ』というニュースを読んで友達と盛り上がり」なんていう生活ができるものなのかどうなのか。仮にそういう生活ができたとして、本当にそれは「幸福」だろうか。

 

よく考えれば、こうした問題提起は何も今に始まった話ではなく、著者の独創でもない。古来から「鼓腹撃壌」とか「帝力我に何かあらんや」とか言われる話である。だが、言うまでもなくこうした状態は純粋に理念上のものであって、現実の歴史で存在したことは一度もない。

国民国家の弊害は確かに大きい。それは事実だ。だからといって、対抗暴力の放棄がその解決になるとも思えない。むしろ、上で述べたようにより一層の事態の悪化を招く可能性が高い。

 

 

ただ、本書を読む限り著者は大変聡明な人だから、こんなことは最初から承知済なのだろう。承知した上であくまで問題提起として上記のようなことを言っているのだろう。そう思う。

だとしたら余計にたちが悪い。結局、自分では本気で信じてもいないことを他者に対して主張しているという点で、無責任だからだ。

親子は他人の始まり(書評:田房永子「母がしんどい」)

久しぶりのブログ更新である。

今日は、田房永子の「母がしんどい」を取り上げてみたい。

 

母がしんどい

母がしんどい

 

ジャンルとしては、最近になって多くなった「毒親もの」ということになるのだろう。親(特に母親)からの肉体的・精神的虐待を幼児期から受け続け、成人してからも親からの呪縛に苦しむ子の視点から書かれている、という意味で。問題意識としては、このブログでも前に取り上げた「母が重くてたまらない」に通じるものがある。

 

ただ、「母が重くてたまらない」と異なるのは、「母が重くて~」のほうは、主観的にはむろんのこと客観的にも(少なくとも一見は)「娘思いのいい母親」である、ということだろう。あまりにも娘思いすぎるがゆえの娘のほうのしんどさ、さらにはその「娘思い」というのが実は母親の利己主義にすぎないというところを描いて余すところがない。厄介なのは、母親の利己主義が巧みに隠蔽されて、第三者にはわかりにくい(娘にはわかるが)というところである。

 

一方で「母がしんどい」のほうは、わかりやすい。マンガだからわかりやすいという意味ではなく、示されている構図がわかりやすいのである。

もちろん、わかりやすければいいというものではないし、わかりやすいから楽かというと全然そんなことはない(それは読めばわかる)のだが、とにかくわかりやすい。母親の利己主義が、もちろん母親自身は誠心誠意娘のためを思っているつもりなのだが、すべて透けて見えてしまっている。だから娘である著者は小学生のころからすでに「うちのお母さんなんかおかしい」と気づいてしまっている。

「娘のお年玉を勝手に使ってピアノを買い、突然娘にピアノを習わせる」「学校主催の旅行に行くのを、身勝手な家族ルールを理由にやめさせる」「バイトを邪魔して辞めさせる」「受験当日の朝ケンカして、家を出る娘を角材を振り回して追い回す」短大を出た後、一人暮らしをしようとするも「短大まで出させてもらって何をバカなこと言ってるんだ」と罵倒され、それでもめげずに、当時付き合っていた彼氏と同居することにかこつけてなんとか家を出ることに成功しても、電話でのケンカを引きずって職場にまで何度も電話をかけられ…100人中100人は「このお母さんおかしい」と思うようなエピソードばかりである。

しかも、これですら氷山の一角でしかない。この手のエピソードがこれでもかこれでもかと続くので、正直、読んでいる途中でうんざりしたことを告白せねばならない。

 

だから第三者が見る分に迷うところはない。「そんなお母さん相手にしなくていい」という結論にしかならない。第三者どころか、母親の母親(つまり祖母)や母親の妹(つまり叔母)にも「あんたも大変よねえ、あんなお母さんで」と心配されてしまっている。娘自身も「絶縁したい」とは思うものの、そこはそれ、どんな欠陥人間であっても母親には違いないから、そう簡単に割り切れるものでもない。そこが娘である著者の苦しみの根源になっている。

 

はっきり言えば、著者や著者のような人に対する「処方箋」は、この本の最後の方で3ページほどで示される精神科医の診断で言い尽くされている。(ネタバレになってしまうのでここでは書けない。読んで確かめていただきたい。)著者はこれを聞いて「とっても晴れやかな気分」になったと書いている。おそらく、同様の立場の人がこれを読めば皆そう思うのではないか。

 

そうはいっても、一挙解決とはいかない。母からの呪縛が何十年もかけて体にしみ込んでいるからだ。そのため、著者もだいぶ苦しむ。苦しんだ末、あることを悟る。もしかすると、母は実はとても寂しい人だったのかもしれないということを。家族にも周囲の人にも相手にされず、そのため娘を自我の補強材料として使っていたのではないか、と。

つまり、母親と自分をともに相対化できる立場に立った、ということである。

 

ただ「相対化できる立場に立った」といっても、そこで、よくある「母親もまた一人の悩める人間なのだということを悟り、温かく見守ろうと思った」みたいな結論にはならない。まったく逆で「でもだからって 同情して100%お母さんの味方になったり 一緒にいたりしなくてもいいんだ 私は私の思うように生きていいんだ(124ページ)」ということを著者は最後に悟るのである。

これは、その人間の人生に責任のない、つまり完全な他人の結論である。

親、特に娘のいる母親がこれを読めば、これはとても悲しい結論と映るかもしれない。

でも、娘の立場に立てば、これ以外の結論はあり様がない、ということがわかる。今、母親とされている人だって、かつては(あるいは今も)誰かの娘だったはずなのだから。

 

 

 

 

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犬死

いじめを苦にして自殺、という事件がときどきある。

もう何十年も前から問題視され続けているが、一向におさまる気配がない。

最近では、ある高校で、部活動の顧問の教師から体罰を受け続け、それを苦にして自殺した生徒もいた。これなどは「いじめを苦にして自殺」の「変種」とも言えるだろう。

  

これらの事件が発覚した後の世間の反応も、今では定型になってしまっている。

まず、校長や教育委員会が平謝り、それに対してワイドショーの司会者やコメンテーターが、ここぞとばかりにつるし上げる。

あるいは、最初の時点では校長や教育委員会といった「学校側」が責任を認めない、あるいは責任回避的な言動をとることもある。その場合には世間の怒りがさらに噴き上がり、結局は最初のうちに素直に謝るよりももっと重大な謝罪をせざるを得なくなってしまう。

そして、いずれの場合にせよ、自殺した子に対する感傷的な言説が、しばらく世間を飛び交うこととなる。

  

 

もう沢山だ。 

 

これらの事件は、ある種の子どもたちに次のようなことを教えるだろう。「君が遺書の一つでも残して死ねば、数多くの偉い大人たちを跪かせることができる。そして、君は悲劇の主人公として、この世の理不尽に身をもって警鐘を鳴らした英雄として、多くの人の記憶に生き続ける」と。 

ある種の子どもたちにとって、それはとても甘美な誘惑だろう。 

 

そうした、これらの事件を受けて世間(特にマスコミ)が発する暗黙のメッセージの影響の行きついた結果が、たとえばこれ だろう。

(この事件そのものはいじめとは関係がないが、上記の「自らの死をもって世を変える」という論理の帰結である、という意味で。)

  

でも、そんなのは大嘘だ。 

そりゃ一時的には皆大騒ぎするだろう。前非を悔いて涙にくれる人もいるかもしれない。

いっとき社会を揺るがし、政治家にも「いじめの根絶」をいうことを語らせるくらいの影響はあるかもしれない。

でも、断言してもいい。そんなのはいわば一時的な流行に過ぎない。半年もすれば皆すっかり忘れ、いつもの生活に戻るだろう。

もしかすると、事件の張本人(いじめっ子とか体罰教師とか)くらいは、刑事罰を含むなんらかの処分は受けるかもしれない。だけど、それだけだ。

  

そんなことでいじめはなくならない。別の学校では相変わらず誰かがいじめられるだろう。誰かが理不尽な暴力にさらされるだろう。否、同じ学校ですら、他の誰かが替りのスケープゴートになるだけのことかもしれない。

  

何も、変わりはしない。 

  

いじめっ子に対して、助けの手を差し伸べてくれない冷たい社会に対して、一矢を報いたいのなら、そして、少しでも何かの影響を世に与え、世を変えたいと願うなら、何はともあれ、死んではならないのだ。 

死んでしまったら何もできないのだから。

  

そして、残された我々は、間違っても、自殺した子どもを悲劇の主人公に祭り上げてはならない。一切の哀悼の念を注いではならない。 

はっきりとこういうべきなのだ。 

君たちの死は犬死だったと。 

死によって何をもたらすこともない、紛うかたなき犬死だったのだと。 

 

逆説的だが、はっきり上のように言うことこそ、彼らの死を無駄にしない唯一の方法なのだと私は思う。 

 

もう、誰もこんな風に死んで欲しくない。