百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

鬱勃たる青春の日々(書評:松本清張「半生の記」)

松本清張は数多くの作品を世に残したが、作家としてのデビューはわりと遅いほうで、41歳のときに処女作「西郷札」を発表した。それまではずっと、朝日新聞西部本社の広告デザイナーとして勤務していた。

本書「半生の記」は、その作家デビュー前までについて記した自叙伝である。

 

半生の記 (新潮文庫)

半生の記 (新潮文庫)

 

 

郷里と絶縁した不運な生まれつきの父の話から始まり、互いを嫌い抜き喧嘩ばかりしていた父と母、幼少期の貧しい暮らし、上級学校への進学は早々にあきらめ、底辺の職を転々とし、それでもなんとか手に職をつけ生活を安定させたいと願い、苦心の末デザイナーとして認められ、その頃九州は小倉にできた朝日新聞西部本社に雇われるも、正社員との身分差に絶望する―――

 

はっきりいって暗い本である。甘ずっぱいところとか、爽快なところは全くと言っていいほどない。

若いころの話だから、恋話とか、親友と文学とか将来の夢とかについて語らうとか、そういうのがあってもよさそうだが、そういう話もほとんどない。唯一それに近いのは、その頃加わっていた文学サークルの仲間の妹と「結婚したい気持ちはあった」と書いているくだりのみである。(しかし結局「自分の収入ではとても家庭が持てるとは思えなかった」ので「いつまでも何も言わなかった。」)

それならそれで私小説にありがちな放埓な生活をしていたかというと、そういうのとは真逆な生活ぶりだった。生活を安定させたい一心から図案工を志し、夜遅くまで仕事をした後でも、独学で図案の勉強をしたり、日本画の先生についたり、習字の稽古をしたり…どこに行って遊んだとか、旅行したとかいう記述は皆無である。娯楽といえるのは印刷屋勤めの時に覚えた麻雀くらいで、それとても心底楽しんでいるわけではない。

放蕩するような時間的、経済的余裕がなかったからといえばそれまでではあるが、涙ぐましい苦心だ。

 

灰色のつまらない青春、青年期とも言えるかもしれない。でも、昔、小学校を出てすぐ働きに出るような庶民の子の生活ぶりは、だいたいこんなものだったろうと思う。今だって、こういう若者は大勢いるはずだ。

もっといえば、松本清張があまり頭が良くなければ、おそらくは庶民としての生活でも、それなりに充足した楽しい日々を過ごせたのかもしれない。身を粉にして働きつつも、たまに余裕があればすし屋でつまみ、酒を飲むとか、少し女遊びをしてみるとか、そのくらいで十分満足していたかもしれない。

ただ、幸か不幸か、貧しい生まれつきにそぐわない高い知性をもってこの世に出てきたがゆえに、常に「こうあるべき、ありたい自分」と「現実の惨めな自分」とのギャップに清張は苦しみ続けた。

 

その傾向は、朝日新聞に入社した後の記述にも顕著に見える。広告部の仕事といっても与えられた指示通りに図案を描くだけで、自分の独創性の入る余地などない、前述の通り正社員との身分差は明確で、この先の出世の望みもない、上司からもろくに相手にすらされない、「このまま停年を迎えるかと思うと私は真暗な気持ちになった。」「砂を噛むような気持とか、灰色の境遇だとか、使い馴らされた形容詞はあるが、このような自分を、そんな言葉では言い表わせない。」

現代の読者でも、ここの部分には共感する人も多いはずだ。

 

でもよく考えると、高等小学校しか出てない人間が、広告デザイナーという技術者として認められ、なにはともあれ朝日新聞という一流会社(当時においてもこれは変わりない)に就職できたのだから、本当ならもっと喜んでいてもおかしくはない。たぶん、ほどほどの知性、ほどほどの自負の持ち主なら、そうしていただろう。

でも松本清張にはそれができなかった。ド・ゴールが昔、士官学校の生徒だった頃の教官がド・ゴールを「将軍にでもならなければ満足しそうもない顔をしていた」と評したことがあるらしいが、清張もおそらくその類の人間だったのだろう。

 

 

この本は暗い本ではあるのだが、ただ、どこか完全には真っ暗になっていない感じを受ける。それはおそらく、この自叙伝の語り手の、この自叙伝では語られていない後半生が、前半生の鬱屈を吹き飛ばすかのような栄光に満ちたものであることを(本人はどう思っていたかはわからないが)、読み手である我々が既に知っているからだろう。

そして、後半生からの視点に立てば、前半生の苦闘は決して無駄ではなかったと言える。短編、長編を問わず、清張の小説には「貧しく賎しい生まれつきの主人公が、上昇志向を果たそうとする(そして、多くの場合は失敗して破滅する)」というのがとても多いが、それはつまり「もしかするとありえたかもしれない自分の人生」を描いていた、ということだろう。

 

松本清張が後半生において成功したことは、彼にとっては(そして後世の読者である我々にとっても)幸運だったに違いない。ただ、もし、後半生においても芽が出ず生涯を終えることとなったとしたら、そのときには彼の魂は、何を感じただろうか。

 

 

ちなみに、松本清張太宰治は同年生まれであるが、太宰治は39歳で自殺している。つまり、太宰の人生が終わったところから、作家・松本清張の人生が始まった、というふうにも言えるかもしれない。