百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

ブルーハーツと外山恒一と


全てが陳腐化していく中で、今だに魂を揺さぶる名曲:ブルーハーツ


私をも含めた、ある一定年齢以上の人間にとっては、ブルーハーツ(正確にはザ・ブルーハーツ)という名前は、ある種の特別な響きを持っている。(今の若い人にとっては「ハイロウズクロマニヨンズの前身」ということで知られているのだろうが。)
上のブログのエントリを読んで、改めてそのことを思った。

上のブログ、またこれにトラックバックしている他のブログの方々みな、それぞれ熱い思いを込めて、自分にとってのブルーハーツの良さを語っている。
皆、普段はあたかも斜め45度上から見下すような「作風」なのに、ブルーハーツのことになるとうぶな男子中学生のごとく、正面からまっすぐ語っている。そのこともなんだかおかしく思える。


ここで、私もこの流れに便乗して、自分の好きなブルーハーツの曲の一節やら、自分のブルーハーツの曲にまつわる思い出やらを語っても良いのかもしれないが、そんなことはしない。
どうせ、誰もそんなこと期待していないだろうから。

そのかわり、別の事を書く。


ブルーハーツという名前を聞くと、どうしても私は、ある一人の男のことを思い出さずにはいられない。
その男の名は、外山恒一。2007年の東京都知事選に立候補して、一躍「ブレイク」したから、この名前に聞き覚えのある人もいるはずだ。

本当ならここで、外山恒一を知らない人のために、彼の人となりを説明しなければならないのだが、面倒くさいので、しない。
そのかわり「外山恒一」というキーワードでぐぐって頂き、ヒットしたサイトの3つ4つくらいを眺めていただきたい。そのほうが私などが説明するよりよほどわかりやすいし、またそうしていただければ、私がなぜ「面倒くさい」といって説明や論評の手間を惜しむのか、その理由が了解できるだろう。

彼とブルーハーツの関わりは深い。(といっても面識があるとかいうわけではなく、あくまでも「思想的」な影響という意味での話だけど。)
高校生の頃から熱烈なブルーハーツの支持者として、自分のバンドではもっぱらブルーハーツの曲を弾き、しまいには「ブルーハーツ・コンサート粉砕闘争」という事件まで起こす。これによりコアなブルーハーツのファンの間で外山は「ファンの鑑」とまで絶賛された、という。

これは福岡の反管理教育運動家をはじめとする既成左翼勢力(主としていわゆる無党派市民運動の担い手たち)が、若い世代に人気のあるブルーハーツを招請してコンサートを開き、これを政治利用しようと画策したことに腹を立てた外山が、コンサート当日、大量の抗議ビラを会場2階・3階席から散布、主催者や会場スタッフとの物理的衝突に発展したという事件である。この闘争をクライマックスとする、福岡のストリートミュージシャン・シーンの草創期であると同時に最盛期でもあった当時の外山の日記は、1993年4月に、「さよなら、ブルーハーツ」として宝島社から上梓された。

以上、2007年当時のWikipediaからの引用。)

上記の「さよなら、ブルーハーツ」だけでなく、「見えない銃」という題名の著作もある。(名曲「TRAIN TRAIN」の一節からとったものだ。)
とにかく彼は言動、思想の面において強く、ブルーハーツから影響を受けているということがわかるだろう。


ここで私は複雑な気分になる。
繰り返しになるが、80年代後半から90年代前半にかけて多感な時代を過ごした、ことに「今の時代の主流とは合わない」と感じていた野郎共(女の子もいただろうが、単に便宜上そう書いておく)にとって、ブルーハーツという名前は特別だった。外山恒一もそうした野郎共の一人だった。

 役立たずと罵られて 最低と人に言われて
 要領良く演技出来ず 愛想笑いも作れない

 全てのボクのようなロクデナシのために
 この星はグルグルと回る
 劣等生でじゅうぶんだ はみだし者でかまわない
 
 (「ロクデナシ」より


「ロクデナシ」というのはこの場合もちろん反語だ。
学校は、世間は社会は俺のことを「ロクデナシ」と言うかもしれないが、俺はロクデナシなんかじゃない。俺のことをロクデナシ呼ばわりするような学校や世間や社会なら、こっちから願い下げだ---と。
私をも含めた社会不適応気味の野郎共にとって、それはどれだけ力強い味方だっただろうか。
でも、同じく私をも含めたほとんどの人間は、ブルーハーツの歌に込められた純粋さ、極端さにあこがれつつも、そこまで純粋、極端にはなれない。適当なところで社会と「手を打つ」しかなかった。

そんなとき、社会と手を打つことをあくまで拒み、「誰かのルールはいらない 誰かのモラルはいらない 学校もジュクもいらない」「大人たちにほめられるような バカにはなりたくない」「やりたくねえ事 やってる暇はねえ」というブルーハーツの歌の精神を具現化したような男が一人いた。
それが、外山だった。
(彼の来歴を読めば、「具現化」という言葉がまさにぴったりくることがおわかりいただけるだろう。)


けれども、そう、けれどもだ。
歌としてなら、あれほど輝いていたブルーハーツの世界が、一人の生身の男になってみると、どれほど滑稽で、どれほど醜悪なことだろうか。「ロクデナシ」ではなく、本当にただのろくでなしでしかない。

よく考えれば当たり前の話なのだ。尾崎豊の「15の夜」は名曲かもしれないが、感化されて本当に盗んだバイクで走り出したらただの窃盗である。それと同じことだ。


私が上のブログの皆さんのように、無邪気にブルーハーツの良さを語れないのは、それが理由である。

 

しかし。
「誰かのルールはいらない」と言い放って学校はおろか法律すら無視した、「思想界の北島マヤ」と自称するありようは無職の中年男、というのもしんどいが、そうかといって話題といえば子どものことと家のローンと持病と上司の悪口、という緩んだ(でもよくいる)中年になるのもやはり嫌だ。
もっとこう、ほどよい着地点というか、「第三の道」はないのだろうか。
きっとあるはずだ、あると信じたい。

 

 僕等は泣くために 生まれてきたわけじゃないよ
 僕等は負けるために 生まれてきたわけじゃないよ

 (未来は僕等の手の中」より


おそらく、人生を生きるには、これだけでは足りない。
でも、同時にこうも言える。
この、上の2行があったからこそ何とか生きてこられた、そういう人間は確実に存在したし今でも存在する、ということを。

 


(2007年11月16日のmixi日記より、一部変更を加えたうえで転載)

幸せになる才能

これを読んで、何とも複雑な気分になった。

新婚二ヶ月で妻に逃げられたんだが、もう俺は限界かもしれない。

上についてのはてなブックマークでのコメント


もちろん、これの筆者である@TanTanKyuKyuにもかなり問題はあると思う。
そもそも最初の出会いの段階で、生活保護を受給していたにも関わらず、彼女に同情した余り「うちに来い」と言ってしまった時点で軽率だし、入籍するに至ってはますますそうだろう。(いくら、虐待をしていたとされる母親から、彼女を救いだすためだったにせよ。)
一番の問題は、自分が病気で、なおかつ、相手も精神疾患を抱えていて、その状態で結婚しようとしたことだろう。もちろん、当人は善意からのことだったのだろうけど、これで結婚生活がうまくいくのを想像するのはかなり難しい。
就農しようというのも、実家が農家とか農地を保有しているとか、あるいは前に農業をやっていたとかいうならまだしも、そうでなければ少し非現実的だ。
彼女名義の資産があることがわかったので生活保護を抜けるというのも、正直ともいえるが、現実問題として「どうやって生活するつもりだったのか」という疑問が残る。失業保険をめぐる問題では同情の余地はあるけど、そもそもの第一歩が結局間違っていたのだ、とも言える。「彼女の資産目当てに結婚した」と、もちろん主観的にはそんなことは全く思ってなかっただろうけど、結果からすればそう言われてもおかしくない。
それでいて、同じように心の病を抱えている人を援助したがる傾向のある他人を、「メサイア・コンプレックス」と呼んで非難するのは筋が通らない、「あんたも同じ穴のむじなだ」と言われたらどうするのか。


とまあ、つっこむことはいくらでもできる。
けれど、上のブックマークでコメントしている人々のように、この筆者を非難できるかというと、私はそんな気になれない。
なんというか、奇妙な言い方かもしれないが、「生きていく才能」「幸せになる才能」というのに極端に乏しい人、というのはときどきいるからだ。

言わなくてもいい余計なことをいい、まったくする必要のない喧嘩をし、そのアフターケアも絶望的なまでに拙劣、という人が。
人生の岐路に立たされたとき「ああ、なんでよりによってそっちに進むのか」と言いたくなる人、そのくせそういう人に限って、自分の力量もキャパシティも顧みず人を助けたがるが、結局は共倒れになってしまう、そういう人が。

そういう人を、数多く私は見てきた。
この筆者も、そういう類の人だろう。


確かにこの筆者は軽率だ、傍迷惑でもあろう。けれども彼はまず病気なのだし、それに、彼の軽率さ、浅慮によって最大の罰を被っているのは、結局は彼自身なのだ。
他人がさらに罰する必要がどこにあるだろうか。


それに、才能の欠如、というのはこれはもうどうしようもないことだ。酒が飲めないなら飲まなければいいだけだし、音痴ならばカラオケを歌わなければいいだけだ。
けれども、「生きていく才能」がないからといって生きるのをやめる、というわけにもいかない。

彼は彼の業を背負って生きていくのだろうし、周囲はほどほどにあしらう、それしかないように思う。

身勝手な理屈

私の今の仕事場は、東北地方では最大手の某ITベンダーである。
そこのイントラネット内で、本部長のホームページが公開されており、そのコンテンツのひとつとして、商工会議所の機関誌に掲載された文章が紹介されていた。
題して「組織人として生きる極意」だそうである。

こんな文章から始まる。

「会社というところは甘えの許されない、堅苦しいところだ。
これまでのあなたの考え方が根底から変えられることもある。
(中略)
特に、会社のトップ(社長)と若い社員との意識には、大きな隔たりがある。
社長の常識も社員にとっては非常識に映ることもある。
そんな常識を問い直すきっかけになるのでは?」

以下、いろいろなことが書かれているのだが、その中に次のような文章があった。

「■「給料」は誰がくれる?
●社員の本音
会社が社員の働きに応じて毎月定額を支払うもの
●会社の常識
お客さまからいただくもの。業績が悪ければカットやダウンもある。
給料の源をつくっているものは何か。売上であり、利益であり、当社の商品を買ってくれるお客さまである。」


待たんかいこら。

確かに、個々の従業員が、「自分の給料の源は利益だから、利益を上げるために努力しなくては」という心構えを持つことは、プロ意識を高めるという点でも、必ずしも悪いことではない。
だからといって、経営者が自ら「業績が悪ければカットやダウンもある」と言ったらそれは単なる開き直りじゃないか。

経営がうまくいかないことによって蒙る損失は、基本的に経営者が負担すべきリスクなので、それを従業員に転嫁するのはお門違いだろう。
これが「従業員と経営者」だとまだわかりにくいかもしれないが、たとえば次のような話ならどうか。

仮に、商用サイトを作るため、どこかのWEBデザイナーにサイトの作成の仕事を依頼したとする。
ところが、サイトはできたものの、予想したほど客が来ず赤字になったとしよう。
そのとき「利益がないから報酬も無しね」なんてそのデザイナーに言えるだろうか、言ってそれで通るだろうか、という話である。

これと同じ話ではないか。

そりゃ現実問題「無い袖は触れない」という場合もあるから、給料が未払いになることも時にはありうるけど、そういう時経営者は「本当に申し訳ない」って従業員にまず謝るのが筋だろう。
それを「業績が悪ければカットもある」なんてふんぞり返っている場合かと。
ましてやそんなことを「会社の常識」にして、従業員まで洗脳しようとしてはいかんだろう。無茶苦茶である。


なんだか、こんな当たり前の話を力説しなきゃいけない自分が情けない。


私はあるソフトハウスから、この文章が公開されているベンダーに派遣されてきている。このソフトハウスの社長が、上のような話をたとえ話ではなく本当にやったことがある。 幸いにして私は被害を受けていないが、あるプロジェクトにアサインされた別の社員の人が、そのプロジェクトが結果コケてしまったので「利益が無いから給料なし」ということを言われてしまったのである。
もちろん、その人は猛烈に抗議したが、馬耳東風だったと言う。
最初聞いたときは信じられなかったが、実話である。

この社長については、他にも同様の話はあるが、省略する。
そのせいで、私の会社は三ヶ月に一人の割合で誰かしら辞めていく、という状況になっている。
そのくせこの社長、口を開けば「人材が足りない」「人材が定着しないので困っている」と言う。
言ってることとやってることがまるで噛み合っていないことに、当人だけが気づいていないのである。

私の会社の社長と同じような悩みを抱いている経営者は多いらしい。
こうした風潮が、フリーターやらニートやらの増加とあいまって「最近の若者は辛抱が足りない」という認識を生んでいるのであろう。
その認識の妥当性はとりあえずおいといて、経営者の側も「辛抱が足りない」などという前に、自分の「常識」が若者にそっぽを向かれているのかもしれない、という可能性を少しは考えてみたほうがいいようにも思う。

思うに、上のようなお説教をたれても、それで従業員がやる気に目覚めるなどという可能性は低く、むしろお説教の背後にある経営者の身勝手さを敏感に感じ取って、ますますやる気を失うだけだろう。


またむきになってしまった。


(2006年6月27日のmixi日記からの転載)

ポンコツ40代

最近「40代のなんとか」とか「40代になったらどうしたこうした」という感じの題名の本やムック、雑誌の特集をしばしば見かける。(有名なのは「40代を後悔しない50のリスト」あたりだろうか。)
いちいち統計を取ったり調査したりした訳ではないので断言はできないが、ここ1、2年くらいで特に増えた感じを受ける。あるいは、自分が40代になったので、そういう題名の本に注目するようになったのかもしれない。おそらくこちらのほうが真実に近そうだ。

そんな折、コンビニで見た週刊SPA!の表紙に、
「『40代会社員の劣化メカニズム』を完全解明」
とあったので買って読んでみた。企画した側の思うつぼみたいでしゃくだったが。


会社内の「使えない40代」について、そのもとで働く下の世代からの報告という形式で、事例がいろいろ挙げられていた。
たとえばこんな感じ。

「ウチの部長(46歳・男)はパワポが使えず、1文字直すだけでも大騒ぎ。取引先にはFAXで大量の資料を送って迷惑がられています。(広告代理店・25歳)」
「デジカメで撮った写真をパソコンに入れることができない。パソコンで文字がまともに打てない。(一般事務・29歳)」
「机の上はもちろん、中も整理されておらず、渡した書類はすぐなくす。あまりにもひどいので、その上司にはコピーしか渡しません。(小売事務・27歳)」
「上司(46歳・男)は無駄に暑苦しい。仕事で重要な判断を仰ごうにも『気合いだよ!』の一点張り。的確なアドバイスが出てきたことがない(商社事務・32歳)」
「誤字だらけのメールを送ってきたので尋ねると、『マックの調子が悪いんだよ。この誤字はジョブズのせいだね』と意味不明の言い訳。調子が悪いのはあんたの脳みそだろ(広告代理店・27歳)」

うーむ、これは確かにひどい。
週刊誌の記事だから、全部うのみにすることはできないが、自分の昔の経験からしても、まあいてもおかしくない、くらいには思える。最後のはネタとしてはなかなか面白いが、当事者だったらたまらないだろう。

一読して思ったのは
「40代になると様々なことが『めんどくさく』なるのだろう」
ということだ。
おそらく、体力が落ちてくるとか、記憶力が鈍るとか、そういったことと関係があるのだろうけれど。
めんどくさいことの筆頭は「新しい知識を覚えること」だ。上の事例をみると、パソコン周りに関することが目立つが、それは、パソコンが新しい知識の典型だからだろう。
他にも、時代が昔とは変わったにもかかわらずそれがわからず(認めようとせず)、昔のやり方に固執する、などといったことも含まれるだろう。

ただ、まだ上の事例は、個人として無能というレベルにとどまっているからまだいいとして(よくないか)、たとえば次のような事例だとどうだろうか。

「ウチの課長(44歳・男)は手柄だけは独占して社長に報告するクセに、部下の尻拭いは絶対にしません。納期漏れのミスなどがあったときは、仮病を使って休み、知らんぷり。(食品メーカー・27歳)」
「営業部の上司(40歳・男)は、上司にゴマすってばかりで、部下の面倒をまったく見ようとしません。何かいい企画案を部下が持ち出すと、社長への窓口を自分だけに絞り、必ず自ら社長に企画説明に行きます。(卸業・31歳)」
「ウチの係長(46歳・男)はお客さまのところへ行く際、問い合わせが自分に来るのが嫌なので部下の名刺を持って出向きます。(運輸・29歳)」

いまさら新しいことを覚えるのもめんどくさい、とはいえ、これでは通用しないということが薄々自分でもわかっていて、だから自己アピールに走り(特に上司向けに)、自分が損をしなければならないところ、泥をかぶらなければならないところからは極力逃げようとする…だいたいそんな構図が思い浮かぶ。


ポイントは「めんどくさがらない」「責任転嫁しない」といったところだと思う。他山の石としたい。

ちなみに、ウェブでも一部公開されている。

40代会社員のポンコツ化が尋常ではない【証言集】 


余談だが、「ポンコツ」というのは、もともと拳骨で殴る音のことだそうだ。転じてハンマーで壊れた車、機械を破壊すること、さらには壊れた車や機械そのものを指すようになったらしい。
なんか、語感的には好きな言葉だ。ポンコツなものを指し示すのに「ポンコツ」以上にしっくりくる言葉もないと思うからw

労働組合の限界(5)

なんというか、宇宙人としゃべっているような心境だった。一応日本語は通じるのだろう、こちらの言っていることの内容は伝わっているが、こちらの思いはまるで伝わっていない。

あと、「約束を守る」ということが社長はできなかった。
前述の通り、カネが絡むことには一貫して「否」を言い続けていたのだが、それでも、金が絡まないことであれば、合意したり約束したり、ということもなかにはあった。「なぜ昇給ができないのか、ということに関して、社員に説明する」とか「会社の業績を社員に対して開示する」といったことだった。(これすら、普通の会社であれば当然なされているべきことなのだが。)
ところが、これらの約束を取り付けても、少しも実現される様子がない。こちらがそれについて文句を言うと、「決算が近いので忙しいから」と言を左右にして応じない。さらにひどい場合になると「あれ、そんなこと言ったかな」と前に自分が言ったことなのに(しかも、その発言を記録した議事録を読んでいるはずなのに)、まったく覚えていない、ということもあった。

おそらく、とにかくその場を取り繕って適当に言っておけばいい、後のことは知らない、と思っていたのだろう。

他にもいくつもあるのだが、本当にきりがないので、このくらいにしておこう。
とにかく、団交を重ねることによって分かり合えたり、あるいは少なくとも妥協点を見いだせるとか、そういうことは全くなく、不信感が募るばかりだった。


不信感が頂点に達したのは、ある時の団交の席上でのことだった。

あるとき、労働分配率、つまり社員に対して売り上げの何割が分配されているか、そのことが問題になったことがあった。目的はもちろん、労働分配率の向上である。

エンジニアの派遣事業の一人当たりの売り上げは、派遣先から払われる一人月あたりの単価が元になる。
我々の調べでは、一人あたりの単価を平均50万円(一時期に比べればだいぶ安くなってしまった)として、手取りベースでの労働分配率が33%、額面ベース、社会保険こみで50%、という試算結果だった。
このことを言うと、社長は色をなした。何を言っているのか、そんな数字になるわけがないだろう。そんな根拠のあやふやな数字は出さないでほしい。話をするなら明確な根拠に基づいて言ってほしい…

ああまたはじまった、と私は思った。それならば、それを逆手にとらせてもらおう。
私は言った、先に挙げた数字はあくまで試算です、われわれは確実な数字を知りようがないのだから、試算しかできないのは仕方がないですよね、数字があやふやだというなら、どうか、数字をそちらから提示してはもらえないでしょうか。

得たりとばかりに、社長は手元の紙を見て、なにやら数字を読み上げようとした。そこでさらに思ったのは「人が出した数字に『明確な根拠がない』というなら、その手元の数字の根拠は何なのか」ということだった。
私は、読み上げようとするところを遮ってさらに言った、「すみません、先ほど、労組の労働分配率の試算結果の根拠に疑いをもたれたようですが、そうすると、逆にお訊きしたいのですが、その手元の数字の根拠はなんですか。」


「それは『信頼』しかないでしょうね。」そう社長は言った。

今までの経緯を振り返れば、これほど皮肉な言葉は無かった。しかし、社長はそれを皮肉と自覚して言っているのではなさそうだった。
さらに言えば、根拠をたとえば損益計算書などを示すのではなく、「信頼」としか言えないのも語るに落ちた話だった。「根拠など何もない出鱈目です」と問わず語りに言っているのと同じだった。

さらに彼は言った。
「そんなに会社が信じられないなら、そういう人は他所に行ったほうがいい。自分が信頼できないところで働いているのは、その人にとってとても不幸なことで、人生を無駄にしていると私は思う。」

今まで団交を何度か重ねてきてはじめて、社長の発言で心の底から「ああ、そのとおりだ」と思える言葉に出会った。
まったくそのとおりだ、俺はまさに人生を無駄にしているな。

しかし、そうやって言うからには、この人は自分が信頼するに足る人間だと自分のことを思っているのだろうか。そうだとすれば、驚嘆すべき自己認識だろう。
同時に議事録も取っていたので、念のためにきいてみた。「先ほどのご発言は大変重要だと思うので、議事録に記録してもかまいませんか。」
撤回するなら今のうちだよ、という意味を込めていたのだが、その思いはやはり通じなかったようだ、返答は「誤解のないように願いたい」とだけだったから。

私の中で、心を支えていた梁のようなものが、折れた瞬間だった。

そのあとしばらくして、私は組合の執行委員を辞め、さらに、会社そのものを辞めた。


結局、まったく皮肉な話ではあるが「信頼」ということに尽きるのだった。労働者と使用者はたがいに利害が対立するのだが、そうだとしても、最低限あるレベルのところで信頼関係がないと、そもそも交渉が成立しない。
信頼関係といってもそんなに大仰な話ではない。要は、約束は守るとか、嘘はつかないとか、法は守るとか、明確なデータに基づいて議論する・できるとか、そういうことだった。

別に人格的、能力的に優れた経営者でなくても(いや、本当はそういう経営者のもとで働きたいと、労働者の多くはそう望んでいるだろうが)構わない。労働運動に対してまったく理解のないごりごりの新自由主義者のような人であってもいい。
上のような条件さえ満たしていてくれれば。

けれども、目の前のこの男には、それを期待できない、ということが、よくわかった。


団交は回を重ねてはいたが、はっきり言って泥沼化していた。あと取れる手段としては、労働委員会に調停を申し込むか、ストライキのような実力行使に出るか、というところだった。
しかし、そうなれば、さらに信頼からは遠ざかるだろう。社長はますます憎しみを燃え上がらせ、ますます組合を敵視するだろう。もちろん、組合を敵視して何かするというのは、不当労働行為と呼ばれる違法行為なのだが、法とか仁義というものを重視していないこの社長のような人間にとっては、なんでもないことに違いない。

労働組合というものが役に立たないとは思わない。ただ、それが役に立つには、経営者が最低限上のような条件を満たさなければならない、と思われた。
それがなく、また、この社長のように自らが社長であり大株主である、という場合はどうしようもない。社長を引きずり下ろすことはだれもできないのだから。
そういう場合は、こちらが「辞める」という選択肢しかない。


今はただ、そのことに気がつくのに7年という歳月を要したこと、そのために、実り多かるべき30代後半という時期をまったく無駄に過ごしてしまったこと、すんだことをどうこう言っても仕方がないが、ただそのことは悔やんでも悔やみきれないのだ。

労働組合の限界(4)

それから何回か団交を重ねたが、まったく話が通じないのにはほとほと参った。

あるとき、組合員に対して、現在の月給の額がいくらか、というアンケートを取ったことがあった。社員10人~99人の企業の、新入社員の初任給の全国平均は166,000円なのだが、前の会社ではそれを下回る社員が、アンケートに回答した35人中10人いた。(もちろん、みな入社から何年もたっている。)
また、基本給が20万円以下の社員が全体の87%を占めていた、30代、40代の社員も多くいるにもかかわらず、である。
そのアンケートの集計結果を持参して、団交の席でそれを読み上げた後の、社長の感想は次の通りだった。

「そのアンケートの結果は確かなのか。」
「給与明細から転記してくれと要請しているので、確かだと思いますが。」
「それ(アンケート)に答えた人は常識人なのか。」
「入社面接を経て社長が採用したんですから、常識人でしょう。お疑いになるなら、給与の確実なデータはそちらにあるでしょうから、調べてみればすぐわかるのではないですか。」

アンケートには自由回答欄も設けていて、そこには「実家を出て独立したいが金銭的に無理」とか「年収200万円台、給与が低すぎて結婚できない」などと書かれていた。
それを読み上げても、

「生活に困っているという場合、その当人にもそれなりの原因があるのではないか。浪費をしているとか。」
「…月給が15万円以下でもですか。」
「そうだと思う。自慢じゃないけど、私は社会人になってから、お金で困ったことがないからね。」

またあるときは、県の労働局のデータをもとに、前の会社と同規模・同業種の企業の基本給の平均と、前の会社とのそれとを比較したことがあった。他と比べれば明らかに低いのだった。
その結果も団交の席上で見せたことがあった。その時の反応はこうだった。

「この資料は何を元にして作成したのか。」
「県労働局の統計データを基に作成しました。」
「IT業界で、かつ、当社くらいの規模で、こういう数値になることはあり得ないと思う。」
「その数字は、情報処理業界の、10~99人の規模の企業の統計をもとにしていますから、それについて疑義がおありになるということは、つまり、統計そのものが疑わしいということですか。」
「そういうことになるね。」

とにかく、自分に都合の悪いデータは一切認めない。それも、何らかの数字の裏付けをもとに言っているのではない。ただ、「こんな数字は嘘だ、なぜなら、俺が嘘だと思うからだ」ということを言っているにすぎない。

こういうことも言っていた。「社員の給料を上げるにはどうすればいいか、それは、社員一人当たりの売上を上げることだ。」だからお前ら頑張って売り上げを上げろ、と言いたいらしいのだが、それは社員だけではなくて、経営側の努力も必要だろう。
そのくせ、こと経営努力などを問いただそうとすると、言い訳に終始するのだった。いわく、リーマンショック後仕事が激減した(これを一体何回聞いただろうか)。いわく、震災だ、タイの洪水だ、TPPだ、秋葉原の事件だ(一体それの何が関係するのか)、いわく、中国だインドだ…

そうはいっても、別に赤字になってるわけじゃない、利益はちゃんと出てるし、内部留保だってかなりたまってるでしょう、と(リサーチ会社から得たデータをもとに)疑問を投げかけると、途端に逆上する。
利益をどう処分するかとか、内部留保をどうするか、というのは経営側の判断であって、従業員にどうこう言われる筋合いのものではない、口を出さないでほしい…
そんなに内部留保をため込んでどうするのですか、具体的な投資先とかを考えているのですか、と聞いてもまったく漠然としている。いや、具体的には考えてないけど、いつか、何かの時のためにね。


情も通じず、かといって具体的なデータに基づいて論理的に話すこともできず、経営方針を問いただしても要領を得ず、話に詰まれば逆ギレ…

(続く)

労働組合の限界(3)

現実として団交を拒否されているのは確かなので、こちらとしても微温的な対応ばかりしているわけにもいかなかった。
なんとか社長を交渉のテーブルに着かせるきっかけは無いだろうか、ということで、県の労働組合連合会のアドバイスを得て、委員長が考えた方針が「36協定の締結をてこにする」ということだった。

今までも一応「社員過半数代表者」というのがいた。去年の過半数代表者がそのまま労組の委員長になっていて、かつ、組合員も社員の過半数を超えているので、締結団体としての資格は満たしている。
36協定はだいたい一年を締結期間として結んでいた。これを、2、3ヶ月くらいの短い期間であえて結ぶようにし、36協定の期間満了が近づいてきたときに、協定締結にいわば「かこつけて」団交を申し込むようにすれば、少なくとも締結期間ごとに団交を開くことができる。団交を拒否すれば「それなら36協定を締結しません」と言える。36協定を締結しなくても、社員が困ることは何もなく、困るのは使用者のほうであるから。

このねらいは的中した。途中で東日本大震災があったりしたせいで、組合結成から半年近くを経過したが、なんとか第一回の団交にこぎつけることができた。

ところが、
私は都合が悪くて、この記念すべき第一回目の団交には出席できなかったのだが、これがもう、文字通りお話にならない有様だったという。
組合側が何を言っても、「それは文書でよこしてください」の一点張り、要は「この場で実のある回答をする気はさらさらないからね」と言っているに等しい。
後はただ社長の一方的な説教のみ。いわく、いまどき労働組合なんぞ時代遅れも甚だしい、いままで会社と社員が一致団結して頑張ってきて、しかもこの情勢が厳しい中、なぜ会社と社員の間に亀裂を入れるようなことをするのか…

第二回目の団交ではテコ入れを図るため、県労連の事務局長にもオブザーバーとして参加してもらい、かつ、できるだけ多くの組合員にも参加してもらうよう呼びかけた。
7月末、二回目の団交が開かれた。会社の会議室がいっぱいになるくらいの人数が集まり、比喩的な意味でもそのままの意味でも、熱気が高まっていた。

ところが、これもまた、結果からすれば空回りだった。大勢の社員が集まり、県労連事務局長が熱弁をふるったにもかかわらず、具体的な成果はほとんどなかった。
とにかくもう、社長の言うことが典型的な「官僚的答弁」なのだった。何を言われても「検討します」「善処します」としか言わない。具体的に何をどう検討するのか、そういう言質を取られそうなことは一切言わない。
それでいて、「昇給」「賞与アップ」といった、具体的に金を出さなければならないことについてははっきりと拒否する。「それは経営的な判断であり、君らに口出しされるいわれはない」と。
もう耳にたこができるくらい聞いている「リーマンショック以来~」の言葉。一体何年前の話をしているのだろうか。
社員が自らの窮状を話そうとすればそれを途中で遮り、「そんなことは言われなくとも分かっている、ただ売り上げを上げなければ給料はあがらないのだ。そんなことは自らの売り上げをあげてから言ってほしい」という。売り上げのどのくらいの割合が社員の給与となっているのか、それを明らかにしないままそういうことを言うのはフェアではないのだが、そんなことはお構いなしである。

さすがに、労働組合ができれば多少は変わるのではないか、そう今まで思ってきた。
しかし、ここに至ってその気持が揺らいできた、おそらく、この男はどうやっても変わらないのではないか。

(続く)