百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

戦略は何に宿るのか(書評:奥山真司「世界を変えたいなら一度“武器”を捨ててしまおう」)

本書の著者である奥山真司は、カナダと英国で学び、戦略論(Strategic Studies)の博士号を取得し、現在は在野の地政学者・戦略学者として活動している。
本書は、欧米の戦略論の知見を、戦略論の主対象となる国家や組織ではなく、個人に対して適用しようという試みである。

 

世界を変えたいなら一度

世界を変えたいなら一度"武器"を捨ててしまおう

 

人生設計について語られるとき、必ず言及されるのは「スキル」の重要性だ。簿記やパソコンの技能、あるいは英語などの語学、さらには税理士、司法書士などの資格といったものがそれにあたる。
しかし著者は、人生を生きていく上においては「スキル」よりももっと重要なものがあるという。それは何か。

ここで著者が提示するのが、エドワード・ルトワックやコリン・グレイといった欧米の戦略家の分類をもとにした「戦略の階層」と呼ばれる、次の7つの階層から成るモデルである。

・世界観
・政策
・大戦略
・軍事戦略
・作戦
・戦術
・技術

上から下に行けばいくほど抽象度が低く、具体的・個別的になる。逆にいえば、上に行けばいくほど抽象度が高くなる。そして重要なのは、このモデルは、上の抽象度が高い階層が、下のより抽象度が低い階層を規定する、という構造になっている、ということだ。

「スキル」は、このモデルに照らすと、一番下の「技術」に相当する。つまり、「スキル」にこだわっている限り、より上の階層の変化に振り回され、かえって主体的な人生が送れなくなってしまう、ということになりかねない。だから、よりよい人生を生きたいと思えば、いったんスキルという「武器」を捨てたほうがいい。(これが本書のタイトルにもなっている。)
より肝要なのは上の階層、つまるところは「政策」や「世界観」のレベルである。ここを固めることが、人生戦略においてもっとも重要である、という。


個人的な興味と仕事上の必要性で、企業の経営戦略について少し勉強したことがあった。この分野については、すでにいろいろな理論やツールが提示されている。「SWOT分析」とか「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」とか「ファイブフォース分析」とか言われているものがそれにあたる。

ところが、よく考えれば当たり前の話なのだが、これらはあくまでツールにすぎず、使う人によって結果が大きく変わり得る、ということに気がついた。SWOT分析を例にとるなら、何を「強み(Strength)」とし、何を「弱み(Weakness)」とするかは自明に決まるものではなく、結局は分析者の主観的な判断によるしかない。
もし、パソコンを最初に世に問うた人々が、大型コンピュータと比較した性能の低さを「弱み」、大型コンピュータを「脅威」とみなしていたら、そもそもパソコンが世に出回ることは無かっただろう。

だから、戦略は何に宿るのか、ということについて突き詰めると、それは個々の理論ではなく、その理論を駆使する人の「頭の中」に宿る、ということになる。論理的にはそういうことにならざるを得ない。
いいかえると、ある人が受けてきた教育とか、経てきた経験により形作られた人生観、世界観、歴史観が基にあって、それが外界の事象に反応したときにできた軌跡のことを「戦略」と呼ぶのではないか、と、ぼんやりとそんなことを考えていた。

そんな折、この本を読んでわが意を得た、というか、「俺が考えたことは、そんなに的外れでもなかったんだな」とおもって安堵したのである。


上の「戦略の階層」理論に基づけば、「なぜ明治時代の日本は成功して、昭和初期の日本は大失敗したのか」ということについても説明がつくように思う。
明治時代の日本の指導者は、すなわち侍の最後の生き残りである。彼らの多くは、幼少期から武士としての教育―――武道や和漢の教養―――を受けてきた。
この本の中でも、伊藤博文が和歌や漢詩に巧みであったことがふれられているが、ともあれ、これらの教育が彼らの世界観に大きな影響を与えただろうことは容易に推察できる。
ただ、これらの教養は、彼ら以降の世代からは急速に失われていった。昭和初期の軍部は、陸軍大学校を出たエリート軍人で占められていたが、陸軍大学校の教育は作戦指導(上の戦略の階層の「作戦」以下のレベル)の実務的教育に偏重し、政治・外交・経済を含めた広い視野からの政略・戦略についての教育は十分ではなかった。

松下村塾などで幅広い人文・社会科学の教育を受けた伊藤博文ら元老たちが、政戦略を一致させた戦争指導をおこない、完全に制度化された陸大の教育を受けた昭和の将帥がまともな戦争指導もできなかったことは、指導者教育にとって大切なものは何なのかを教えている。」(黒野耐参謀本部陸軍大学校」より)

結局、明治の指導者と異なり、彼ら軍人に世界観が欠如していた、あるいは浅薄な世界観しか持ちえなかったことが、満洲事変から大東亜戦争に至るまでの戦略の失敗につながったと言えよう。

さらに昨今の「キャリア教育」についても、この「戦略の階層」理論は応用できるのではないか。
近年の就職難に影響され、大学も「企業の求める人材」を育成しようといろいろなことをしているようだ。そして「企業の求める人材」というと「即戦力」とか「グローバル化」といったバズワードに象徴されるような「スキル偏重(「グローバル化」の場合は英語)」の傾向が強い。
ただこれは「就職難」という当面の問題への対応としてはやむを得ないのかもしれないが、長い目でみれば逆効果であろう。むしろ真の意味での「リベラルアーツ」を重視し、広く深い世界観、哲学を持った人材を育成したほうが、むしろ企業にとっては有益で、大学にとっても本来の機能を発揮できるはずだ。


「戦略」という言葉についてある程度考えたことがある人、そして既存の戦略論に対しかすかに違和感がある人、あるいは「教養の意味」ということについて考えたことのある人、そういう人に対しては有益な本だろう。
そんなに厚い本ではなく、平易な言葉づかいで書かれているのですぐ読めるが、奥は深い。上で挙げた「戦略の階層」以外にも「ファーストステージ」「順次戦略と累積戦略」といった概念にもふれられていて興味深い。詳しくは中身をみて確かめてほしい。


最後に、少し細かい指摘を。
「たとえば大久保利通などは(中略)大戦略がよく分かっていて、台湾を交渉によってスパッと契約して取ってきました。(216ページ)」とあるが、台湾が日本に割譲されたのは日清戦争後の講和条約によるもので、このときには大久保利通はすでに亡くなっている。(大久保利通が交渉して取ってきたのは、台湾出兵の賠償金)
本書の趣旨には影響は無いが、事実誤認なので改版時には修正したほうがよいと思われる。