百年、再生の我無し

40歳からの人生やり直し。

名前を騙られるということ(2)

ここまで読んでいろいろ疑問を感じる人もいるかもしれない。たとえば次のような。


「荒らしの正体がわかっているなら、そいつと直接コンタクトをとって、一体何が不満でこういうことをするのか、話し合えばいいんじゃないか。」

それは何度か試みた。が、ことごとく拒否された。というより、自分が「犯人」であることを頑として認めなかった、というほうが正確だった。
こちらとしても、そいつが犯人である、という確証がないのだ。(状況証拠は豊富にあったが)プロキシサーバ経由でのアクセスは無論のこと、それ以前の本当のプロバイダ経由でのアクセスにしても「同じアクセスポイントを使用している別人の仕業だ」と言い張られてしまえば、それを覆すのは難しい。

確証を得たければ、プロバイダに開示請求をして、当該人物のアクセスログを得るしかない。(掲示板荒らしをしたときのプロキシサーバへのアクセスが確認できれば、それが証拠となる。)ただ、プロバイダは一般人の任意の開示請求などにはまず応じてくれないだろうが。


「警察に相談すれば」

警視庁のハイテク犯罪対策総合センターというところに相談した。
よく言われるのは、この手のインターネット絡みの犯罪については大変腰が重い、ということで、それは確かに痛感した。
ただ、私が話した担当の方は、終始こちらの訴えには同情的で、いろいろとアドバイスはしてくれた。ただ、捜査してそいつの掲示板荒らしの証拠を突き止めるとか、そういう方向にはどうしても向かわなかった。どういう事情があるのかはわからない。


「いったんその掲示板を閉鎖した後、よそに移って、常連さんにのみ移転先のURLを教えればいいんじゃないか。」

それはまじめに考えた。が、実行には移せなかった。
その掲示板が純粋に自分の所有物であればとっくにそうしていただろう。が、その掲示板は、入院中の人物のもので、私はただ預かっているにすぎなかった。
入院中のその人に見舞いがてら聞いてみても「申し訳ないが、そこは譲りたくない。なんとか閉鎖しない方向で頑張ってほしい」みたいなことを言われたので、やはりそうするわけにはいかなった。非常につらいことだったが。


「一体何をすればそこまで恨まれるのか。よほどその人物に酷いことをしたのではないか。」

前の記事にも書いたが、数ヶ月前にその人物と感情的な行き違いが生じたことがあった。
どういうことだったかというと。

あるところで一緒に飲んでいたのだが、そのとき、話の中で何か納得いかないことがあって(何だったか忘れた)―――これは全く私の悪い癖なのだが―――激昂して怒鳴りつつ手に持っていたグラスを割れよとばかりにテーブルに叩きつけた、ということがあった。(過去に何度かそういうことがあって、その度に人を泣かせたり恐怖におびえさせたりした。)

思い当たるのはそのことくらいである。
確かに、これは私が悪い。悪いのだが、そうだとしても先方のやり口が卑怯だし、それに、やられたことと、それに対する報復が、著しくバランスを欠いている。
一発殴られて頭にきたので、そいつの家に火をつけた、とでもいうような…


ともかく、連日連夜、掲示板の荒らし投稿を削除しては、アクセス禁止リストに新しいプロキシサーバを追加し、ということを繰り返していた。寝不足と、そして精神的な打撃のせいで(いくら平気を装っても、こういうのは少しずつではあるが確実に精神を蝕む)、常に頭が重く、体のどこかしらが痛かった。

あるとき、数限りない猥褻コピペと誹謗中傷の中に、このような文句があった。


「おまえは地獄に堕ちるだろう。俺が落としてやる。」


それまでにも、掲示板荒らしには何度も遭遇した。私を標的にした誹謗中傷も数限りなく受けてきた。
ある時など「死ね!」と書いたメールが私のメールアドレス宛に1000通以上も送られてきたこともあった。その時も送信元のメールアドレスを送り主とは別のアドレスになりすまして送ってくる、という手法を使っていた。メールのヘッダーから本当の送り元を割り出し、本当の送り元であるプロバイダにお願いして、メールの送信あてに厳重に抗議してもらった、ということもあった。(その後、こなくなった。)

だから、この手の行為に対して恐ろしいと思ったことは無かった。
だが「お前は地獄に堕ちるだろう」という文言をみたとき、はじめて今まで感じたことのない恐怖を覚えた。
やはり、相当疲れていたのに違いない。


掲示板の運営会社に言っても改善はなされないようだし、もはや純粋にシステム的な手立てだけではダメなように思えた。
その人物と私の共通の知人がいるので、その人から和解をすすめてもらうようお願いすることにした。(ただし、私が頼んだことは内緒にして)一方で、私からその人物に対しては、「法的な措置」も検討していることを匂わせる。

それが奏功したのか、あるいは向こうも相当疲れていたのか、ある日を境にぷっつりと荒らし投稿が止んだ。
正直、安堵した。掲示板のことを気にせずゆっくりと寝られるということが、こんなにも有り難く幸せなこととは思わなかった。


また、平穏な日々に戻った、ように思われた。
(続く)

名前を騙られるということ(1)

いつも定期的に読んでいたブログがあったのだが、そのブログ主が投稿を休止してしまった。
なんでも、そのブログ主のハンドルネームを騙って、よそのブログのコメント欄に中傷を書き込んで荒らす、ということをした輩がいたらしい。

それ以前にも、そのブログ主は、掲示板やツイッターなどで中傷されたり、ときには脅迫まがいのことまでされていた、という。
そのブログ主の文章は実に歯切れがよく、私はいつも読むのを楽しみにしていた。
ただ、そういう人は支持者も多いかわりに、往々にして敵も多くなる傾向がある。やはり心身ともに疲れていたのであろう、最近は更新頻度もかなり落ちていたが、それでも何とか気力を振り絞って続けている、という感じだった。

そこにもってきて、今回のなりすまし事件である。
我慢の限界を超えた、ということであろう。実に残念だが、心身の健康にはかえられない、やむを得ないとしか言いようがない。


これは私にとっても他人事ではなかった。なぜなら、私も昔、同様の目にあったことがあるからだ。


およそ6年前のことだ。

私はあるBBS(掲示板)を管理、運営していた。もともとは別の人が所有していたが、その人が病気でしばらく入院することとなり、特に頼まれてその人から管理をお願いされていたのだった。

そして、私が管理を譲り受けた前後くらいに、その掲示板にもしばしば投稿していたある人物とオフで会ったとき、感情的な行き違いが生じて少し気まずい感じになった、ということもあった。
(実のところ、このときは私はさほど気にも留めていなかったのだが、相手のほうは実はそうではなかった、ということが、後になって分かった。)

ある時、IPアドレスはその当の人物のものなのに、ハンドルネームは別名、という投稿が掲示板にあった。
投稿の内容は、私がある女性をもてあそんで捨てた、こいつは実に酷い奴だ、という趣旨の、私を糾弾するものだった。もちろん事実無根である。
その掲示板では、投稿者のIPアドレスは表には表示されず、管理者しかわからないようになっていた。その事実無根の投稿をした人も、自分が身元を特定されているともわからず、完全に別人になりすましたつもりだったのだろう。

それらの投稿は、あえて削除せず、そのままにしておいた。
いろいろ理由はあった。あわてて削除したらまるで「図星」の印象を与えてしまうようで嫌だった、というのもあった。あと、この手の荒らしというのは、こちらが慌てふためき、困惑するのを見て喜ぶものだ、ということを経験上知っていたから、こちらが何もこたえていない、平気だということをアピールしておく必要もあった。
もっとも大きな理由は「どんな理不尽な誹謗中傷を受けようと、ネット上で何か発言する上でのコストと心得る」という自分のポリシーに基づくものだった。
自分のポリシーに基づくものなので、自分以外の人間に関する誹謗中傷が含まれているものについては、見つけ次第すぐ削除したが。

掲示板荒らしは断続的に一カ月くらい続いたが、先方も目新しいネタも見いだせず、同じことを繰り返すしかなかったようなので、たぶん飽きてきたのだろう、自然と止んだ。


その後、一ヶ月くらいは平穏な日々が続いた。

ところがある日、私の名前を騙って、掲示板のほかの参加者への中傷誹謗を含んだ投稿があった。IPアドレスはその例の人物のものだった。
さすがにこれはポリシーとか言ってられずすぐ削除したが、削除しても削除しても投稿されるので、ついにその当該人物のIPアドレスをアクセス禁止扱いにした。
それで数日くらいは何もなかったので、やれやれと安心しかけたら、今度はプロキシサーバを経由して、また私の名前を騙って他人を誹謗中傷したり、どこかから猥褻な文章をコピペしたり、ということをしてきた。それも2件とか3件ではない、何十件も、である。猥褻コピペで何ページも掲示板が埋まるくらい。

その掲示板にはいちおうプロキシサーバ経由でのアクセスをブロックする、という機能がついていたのだが、効いている様子がない。
(BBSにバグがあることが後になってわかった。掲示板の運営会社に連絡したら、向こうも憂慮して「対応しますのでしばらくお待ちください」という返事が返ってきたが、その後、目に見えて対応されている様子は無かった。)
山のような猥褻コピペを片っぱしから削除しても、30分もしないうちにまた別の猥褻コピペで埋め尽くされるのだった。夜の午前2時から3時くらい、さすがに奴ももう寝ているだろうと思って削除したら、6時くらいに起きたらもう何ページもコピペで埋まっている。
こちらは仕事もあるから24時間ずっとは見ていられないが、あちらはほぼ24時間体制で掲示板を荒らしていた。
ぞっとした。

プロキシサーバブロック機能にバグがあるので、別の方法でアクセスをブロックしようと思い、次のようなことをした。
世界中各地にある様々なフリーのプロキシサーバからアクセスしているようなので、そうしたプロキシサーバのうち有名なものを調べてはリストアップした。そして、それらを直接アクセス禁止リストに書き込んでいった。
こうすると、だいたい1日くらいは荒らしのない平和な日になるのだが、1日が限度だった。次の日にはまた別のサーバ経由で中傷誹謗と猥褻コピペの嵐だった。新しくアクセスしてきたサーバをさらにアクセス禁止リストに追加すればその日は平和だが、また次の日は…終わりのないイタチごっこだった。
こうしたイタチごっこが2か月ほど続いた。

(続く)

我々に罰する資格はない。

(以下の文章は、2007年8月に愛知県名古屋市内で発生した「闇サイト殺人事件」がまだ審理中であったときに書かれたものである。
この事件の被告人3人については、すでに全員判決が確定している。しかし、ここでふれた問題は今なお意義を失っていないと思うので、初出の文章から一部変更を加えたうえで転載する。)

 

 

<愛知女性殺害>死刑求める署名10万人 名地裁へ提出へ
10月3日15時4分配信 毎日新聞

 名古屋市千種区で今年8月、派遣社員、磯谷利恵さん(31)が携帯電話のサイトで互いを知り合った男3人に拉致され、殺害された事件で、強盗殺人などの疑いで逮捕された男3人への死刑を求める署名が10万人を超えたことが3日、分かった。遺族はさらに協力を呼び掛けた上、署名簿を名古屋地裁に提出する。

 

複雑な気分である。

この犯人の極悪非道さについては異論はない。
けれども、「犯人を極刑に処するための署名運動」というのは話がまた別だ。
遺族の方々の苦衷は察するにあまりあるが、少なくとも私はこの署名運動には賛同できないし、仮に署名を求められても断るだろう。

理由は二つある。


一つめ。
仮に、もしこの後、この事件の犯人の死刑判決が確定したら、と考えてみる。
仮にその判断が、この署名運動とは全くかかわりのないところでされたとしても(というか、それが当然なのだが)、素人の見た目からはそんなことはわからない。「この署名運動が功を奏したのだ」と映ることだろう。
そうすると、「誰かを死刑にしたいと思う」人間がいて、その人間がある程度多くの人の賛同を得られさえすれば、誰かを死刑にできてしまう(というふうに見えてしまう)、という悪しき「前例」ができてしまう。
はっきり言って、それはとても醜いし、危険なことだ、と私は思うからである。

なぜそう思うのか。
数の力、即ち多数がそれを支持している、賛成している、ということが決定的に重要な分野がある。「政治」がそれにあたる。極言すれば、政治の世界において「何が真実か」ということはあまり重要視されない。多数が信じていることが即ち真実だからである。
一方、どれだけ多数が信じていようと、それだけでは真実性を担保しない(させてはならない)分野というものもある。「司法」とか「学問」などがそれにあたる。
「署名運動」という数の力で刑事被告人の量刑を左右しようというのは、「司法」というゲームにおいて、それとは全く異質の「政治」というゲームのルールを強引に適用しよう、させようという試みに他ならない。
それはやはりおかしいのだ。碁盤に将棋の駒を並べてゲームが成立するだろうか。サッカーのボールを突然手に持って走り出したら、それはサッカーの試合ではない。
それと同じことである。

話はややずれるが、「三権分立」というのは歴史の教訓から人類が編み出した知恵の一つだと私は思う。つまり選挙で選ばれる立法、行政府の人々だけだと、「多数決という名の専制」に陥る危険が常にあるから、それとは異質の司法というルールの世界を別に設けることでバランスをとっているのだと。


二つめ。
この「署名運動」は、遺族のこの事件の犯人に対する「復讐」といってよいだろう。「復讐」という言葉は使ってはいないものの。
だとすると、私にはこの復讐に加担する資格はない。そう思うからだ。

「加担する資格はない」というのは奇妙な表現だと思われるだろう。こういう言い方をした背景を説明するために、しばし回り道をお許し願いたい。

これは前にどこかで述べたこともあるのだが、私は復讐心を露わにしている人を見るのが好きではない。
最近になってから特に、殺人事件における遺族の人々が「犯人には極刑を望む」という旨の発言をし、かつそれがメディアにとりあげられることが多くなったような気がする。
「極刑を望む」というのは、要は「あいつを殺せ、吊るせ」と言っているのと結局は同じことなのだ。いくら「遺族の発言」というエクスキューズは用意されていても、そしてその犯人がどれほど憎むべき罪を犯していても、その手の発言を目にするのは正直、私はいい気分がしない。
とはいえ、やめろ、とも言えない。遺族の方々にとって「犯人を殺せるものなら殺してやりたい」と思うのは人情として当然の感情だからである。
だから、上記の署名運動にしても、私は決して賛同しないが、「そんなこと止めるべきだ」と主張することもしない。何の被害も負っていない私に、どうして止めろなどといえるだろうか。

私が先に「復讐心を露わにしている人を見るのが嫌だ」と書いたのにはもう一つの理由がある。
復讐心を露わにしている人の多くは、「復讐」というものを糧にして自分を奮い立たせない限り、自我を保つことができないくらいに追い詰められている人々だからだ。
そういう人々を目の当たりにするのは正直、辛い。どんなに哀れだと思っても、私はその人々には何もしてあげられない、かける言葉すら見つからないからである。

かといって、ここで「何もしてあげられない」苦しさを紛らわすために、遺族の復讐心に「悪乗り」する形で厳罰を主張するのはもっと愚かしいことだと私は思う。
先の記事を引用して「遺族の気持ちを思えば、ここは死刑しかないだろ」という旨の発言をしているブログがいくつかあった。私はこうした発言の傲慢さに目がくらむ思いである。よくそんなことが言えたものだ。平和にのうのうと生きている我々が、この上ない理不尽さで愛する人々の命を奪われた人々の気持ちを、安易に「わかる」などといってよいものだろうか、と。
「わかる」わけがない。「わかる」などとぬけぬけといえる人間は、被害者の立場を僭称して、何か別の感情を満足させようとしている、実は単なる無責任な野次馬に過ぎない。
それはとても危険で、愚かなことであるということに、人はいいかげん気付くべきなのだ。

「加担する資格はない」と先に書いたのは、そういう意味である。

 

(2007年10月08日のmixi日記より、一部変更を加えたうえで転載)

反原発と尊王攘夷

原発デモが盛んである。
首相官邸の前で20万人集めたとか、いや警視庁の発表では7万人だとか、いろいろ言われているが、とりあえず人数が20万人でも7万人でも、私にとってはどちらでもよい。
どちらにしたってかなりの人数で、それだけ多くの人が集まっているということは、まるでマグマのようなエネルギーが、我が国の政治風土の地下にふつふつとたぎっている、ということだと思う。それは確かだろう。

そうではあるのだが、私自身の気持ちは、なぜか妙に冷めている。
率直にいえば、「くだらない」とすら思っている。

2011年3月11日の大地震と大津波、そしてそれによって引き起こされた原発事故以来、日本のエネルギー政策について(もっといえば、日本という国そのものについて)「今まで通りでよい、このままでよい」と思っている人はほとんどいないだろう。かく言う私も、「今までどおりでいいわけがない」と思っている一人である。
それなのに、なぜ、反原発デモに対して、冷めているのか。


そのことについて考えたとき、この感覚はどこかで見たような感覚であることに思い至った。
つい最近、司馬遼太郎の「峠」という小説を読んでいた。
これは、幕末の越後長岡藩を率いて官軍と戦った河井継之助を主人公にした歴史小説だが、それの最初のほうで、こんな場面があった。
司馬遼太郎の小説を引き合いに出して話をするなぞ、つくづく自分もオヤジになったものだと思うが、実際オヤジには違いない年齢なので、その点についてはご勘弁願いたい。)


河井継之助は、青年期に江戸のある学塾に遊学していた。その頃、ロシア艦隊が品川沖までやってきて無理難題を持ちかけた、という事件があった。塾生の多くはこの事件に憤慨して、「ロシア艦に斬り込んでやる」と激語する者もいるが、継之助は同調しない。

 

 継之助は、鼻で笑った。かれには胸中ひそかに期するところがあり、塾生たちの日本刀的攘夷論にくみせず、それがはじまるとさっさと部屋にもどってしまう。

(中略)

急務はあの連中と互角の勝負がやれるように砲も艦もそろえることだ。その前に、その砲や艦をつくり出す国家をつくることである。(中略)それが急務であり、おれが日夜身を焦がして考えているところである、と継之助はいう。
「おれはそういう頭脳だ。ここに、織田右大臣(信長)、上杉不識庵(謙信)、豊太閤、東照権現(家康)を連れきたっても、みなおれと同じことを考えるだろう。かれらが、いまの志士気どりの連中のように、日本刀をひっつかんで品川まで空っ脛をとばすようなばかはすまいぜ」

司馬遼太郎「峠」より)


そんな折、継之助の塾に、小林幸八という男がやってきた。「おらあ、(ロシア人を)殺る」と言いつつ、塾生たちを勧誘していた。継之助が爪を切っている最中に、小林は勧誘の手を継之助まで伸ばしてきた。

 

「(前略)この醜夷の暴状をみて、座してつめを切っている場合でもありますまい。一味に加わりなされ」
「敵は、軍艦七隻だぜ」
ぱちっ、と爪が飛んだ。
「それが、こわいのですか」
「馬鹿だな。敵は七隻も軍艦をならべてやがる。怖かねえというはずがないじゃないか」
「あなたは、日本武士か」
「いよいよ馬鹿だなあ。お前さんのは、盗賊の理屈というものだ」
「盗賊の?」

(中略)

説明してやる、と継之助はいった。人はたれでも金銀がほしいが、しかし百人中九十九人までは盗賊にならない。盗賊というのは幼児のような本性の者で、欲しいとおもえばもう手がのびてそれをつかんでしまっている。盗賊だけでなく町の無頼漢もそうだ。
が、百人中九十九人の正常人は、その金銀を得るまでに気の遠くなるほどの手続きが必要だということを知っている。商いをするとか、職をみがいてそれだけの腕になるとか、あるいは出費を節約するとか、まったく人間というものは偉いものさ。
「それとこれと、どんな関係がある」
「大いにある。ロシア人の暴状をみて腹がたつというなら、こっちも軍艦を造ることだ。七隻はおろか二十隻もつくることだ。」
「迂遠だ」
「そこが盗賊の理屈さ」


幕末に流行った「尊王攘夷」というスローガンの意味するところは何だろうか。文字どおりにとらえれば「尊王」つまり天皇をたっとび、「攘夷」外国人を追い払う、ということになる。外国人を追い払う、ということを最も狭義かつ短絡的に解釈すれば、それこそ軍艦に乗り込んでいって外国人を斬りまくる、ということになってしまう。

でも、幕末の武士は、少なくとも明治維新を進めた主力となった武士たちはそんなことはしなかった。彼らはそんな短絡的かつ視野の狭い発想ではなく、「尊王攘夷」の究極の目的を「日本の独立の保全」ととらえた。
そのためには焦ってはならない、暴発してはならない。戦っても勝つ見込みがないならそれまで力を蓄える。むやみに排外的にならず、むしろ「敵」のよいところは積極的にこれを受け入れる。

幕末から明治にかけての日本が、まったく問題がなかったとはいわない。
でも、大筋では間違ってはいなかった。それゆえに、国の独立を保つことができ、新しい近代国家に生まれ変わることもできた。
おそらく、短絡的で視野の狭い「攘夷」に走った隣国を反面教師にした、ということもあったのだろうけど。


ひるがえって、今の「反原発」「脱原発」運動はどうだろうか。
正直なところ、明治維新の推進者が目指したような戦略性、視野の広さがあまり見えてこないのだ。原発を停止し、廃止できたとして、そのあとどうするのか、ということが。

今とりあえず電力が足りている、と仮にしても、今後もそうかは保証の限りではない。かなり脆弱な基盤の上にエネルギー政策が成り立っている現状であることには、何ら変わりがない。
運動に携わっている人が、私はエアコンなんて要りません、テレビも見ません、というのは心がけとしてはとても立派だが、実効性があるとは思えない。個人とか家庭のレベルで節約できる電気などたかが知れているからだ。
問題は工場とかオフィスとか商業施設だけれど、こうしたところでの節電は経済を委縮させる可能性がある、それをどう考えるか。
ある音楽家が「たかが電気」という発言をした、という。この方がかつて、大量に電気を消費する電子音楽の旗手だったことを思うと実に皮肉な発言だが、それはともかくとして、命の危険に比べれば電力不足など問題ではない、という意味なのだろう。でもこの方が、命の危険と電力不足、経済との問題を天秤にかけてどれほど真剣に検討したかはさだかではない。(おそらく、それほど考えてはいないだろう。)


結局のところ、今の反原発運動というのは、上でいうところの「盗賊の理屈」と変わりないように思えてならない。
とにかく原発は危険だから止めろ、廃止しろ、というのは、夷狄は暴漫だから追い払え、斬り捨てろ、という理屈と共通するところがないだろうか。どちらも、大目的、戦略という視点がなく、目先のことだけにこだわっている、という点で。

「ラストサムライ」について思うこと

今年中にやるべき仕事のほとんどは先週のうちに済んでしまったので、今の気分はすっかり年末整理モードである。
そんなわけで、普段の5分の1くらいのペースでちんたら仕事してたら、唐突に数年前「ラストサムライ」を映画館で見たときの感想を思い出したので、忘れないうちに書いておく。
何を今更、という感じは否めないけれども。


ラストサムライ
映画としては決して悪い映画ではない。再見に耐えうると思う。
この映画をいい映画にしている一番の要因は「作り手の日本に対する敬意と誠実さ」だと思う。それはもう、十分に伝わってくる。

でも、なぜか違和感をぬぐえない。
もちろん、「どうして横浜に天守閣があるんだ」とか「天皇に拝謁するのに何で神社の石段みたいなのを上っていくのか」とか「あの武装は明治初期というよりはどうみても戦国時代末期だろ」とか「吉野の里にソテツの樹が生えているのは何故」とか「欧米人の男性に背丈で匹敵する女性が、あの当時の日本にいるわけが無い」とか、そういう些細なことを言いたいのではない。
もっと本質的な部分に由来する違和感である。
見当違いなところを人に褒められて「うーん、褒めてくれるのはとても嬉しいんだけど…」と苦笑してしまう感覚、とでも言うのだろうか。

先に「作り手の日本に対する敬意」と書いた。それは間違いない。
でも、この「日本に対する敬意」とは、今の近代化された日本に対してではなく、昔の古き良き日本とか武士道(それも新渡戸稲造「武士道」にあるような明治以降に再定義された武士道)とかに対するものだ。
むしろ、あの映画の作り手は「近代化された日本」に対しては、どちらかというと不信の念を抱いていると思う。
映画の中では、「近代化を進める勢力の代表」として大村という登場人物が置かれていたけど(原田眞人が演じていた、渡辺謙を褒める人は多いけど、この人ももっと評価されていいと思う)、この大村の描き方が徹頭徹尾「金と欲に目のくらんだ小悪党」という描き方をされていたことからもうかがえる。

「日本びいき」の外国人に「どうして皆さんキモノを着ないんですか」とか言われているような気分である。


侍は美しい、そして格好いい。それはそう思う。

でも、近代に生きる日本人としての我々は忘れてはいけないと思う、我々の先祖が侍であることを捨てたからこそ、今の我々があるのだということを。
恥も外聞も無く侍を捨て、「尊皇攘夷」のスローガンも脇に除けておいて、近代化路線を突っ走ったからこそ、何とか独立を保ちえたし、経済も発展して、問題が無いわけではないにしてもそこそこ快適で平和で安全な生活ができているのではないか。

もし我々の先祖が、頑なに侍であることにこだわり、「蛮夷に神州の地は踏ません」とか言ってたらどうなっていたか。
多分、どこかの時点で欧米列強の植民地になっていて、社会、経済の発展は今よりもずっとずっと遅れていただろう。
今あるような種種の問題(拝金主義とか道義の頽廃とか格差問題とか)はなかったかもしれないけど、おそらく全然別の、もっと深刻な問題に悩まされていただろう。
そうなれば前の大戦のような戦争をせずに済み、それで多くの人が死なずに済んだ、ということを勘定に入れたとしても、それよりもさらに大きな災厄に見舞われていた可能性は高いと思う。

むろん、近代人になることで失ったものもある。そのことに寂しさを覚えるのは十分根拠のあることだ。
それでも、おそらくあの時代の時点においては、「侍を捨て近代人になる」以外の選択肢はなかった。
それは少しも恥ずべきことではない。それによって失うものもあったけれど、もっと多くのものを守ることができたのだから。

侍にあこがれて、新渡戸稲造「武士道」や、司馬遼太郎藤沢周平を読むのもいい、「国家の品格」に影響されるのもご愛嬌である。もっと本格的になれば、古武道とかを習う人もいるかもしれない。
それもいい。
でも、侍と近代人の間には、どうしても越えることのできない壁がある。それは努力によって超えることはできない。時代によって作られた壁だからである。
寂しいかもしれないけど、本当は少しも寂しく思うことは無い。
むしろ、「侍であることをいとも簡単に捨てられた」明治の日本人の凄みのほうを、私は誇りに思う。


法隆寺平等院も焼けてしまっていっこうに困らぬ。必要ならば、法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。」

坂口安吾 「日本文化私観」より)

 
 
(2006年12月28日のmixi日記より転載)

嫌イデオロギー

昨日(7/26)の記事で、次のような一節を書いた。

なんかそういう『運動』みたいなものとは、できる限り距離を取りたいと思ってるんですよ。

よく考えたら、なぜ「運動」とは距離を取りたいと思うのか、その理由を書いてないことに気がついたので、以下、そのことについてふれたい。


といっても、やや遠回りな言い方になるが、少し辛抱して読んでいただきたい。

以前の記事で、前に勤めていた会社での組合活動について書いた。
前の会社の労組は、県の労働組合連合会に加盟していて、団交の時は労連から役員の人が来たり、何かとアドバイスなどをしてもらったり、陰に陽にずいぶんとお世話になっていた。
それはとてもありがたいことだったのだが、同時に、少し気になることもあった。
たとえば労連の大会の案内を読むと、労働活動とか貧困対策とかの話だけでなく、「反原発」とか「平和憲法を守ろう」とか、そういうことも同時に謳われていたりする。左翼系の活動にはよくありがちなのだが。

それってどうなんだ、と私は思ったのだ。
私が組合に参加していたのは、少しでも自他の社内における待遇をよくしようということが第一義だった。さらには、他の会社から虐げられている人々、貧困にあえいでいる人々と連帯できればなおいい、くらいの気持ちもあった。
でも、「原発に反対しよう」とか「憲法九条を守ろう」とか言われても困る。そういうことはとりあえず今の自分の利害や関心の外の問題だから、ちょっと態度は留保しておきたい、と思うのだ。

まだ「態度を鮮明にせよ」と迫られているのならいい。自分に選択の自由はあるからだ。
そうではなくて、「原発に反対してくれ」とか「憲法九条改正に反対してくれ」とか言われるわけだ。
労働組合の活動や、とりあえずの自分の待遇、労働環境の改善の問題と、これらの問題はどうつながっているのだろうか。それが見えないのに、ある考えに向かって誘導されるのは、少なくとも私にとってはあまり気分のいいものではない。


上記で「これらの問題はどうつながっているのだろうか」と疑問形で書いたが、実はこの疑問に対する答えは、私はある程度はわかっている。

たとえば「労働者の待遇改善」「反貧困」というカテゴリーと、「反原発」「憲法九条擁護」というカテゴリーは、ある種のイデオロギーを信奉する立場からすれば、一見無関係なようで実はつながっている問題、どれか一つのカテゴリーに対する態度を明らかにすれば、他の問題についても自動的に態度が決まる、そういう問題である、らしい。
つまり、イデオロギーがそれら無関係のように見える問題をつなげている、ということだ。

正直、これはたまらない。「あなたは労働問題、貧困問題に関心があるんだから、同時に原発にも反対するはずだし、憲法九条改正にも反対するはずだ」と決め付けられたくはない。
それぞれの個別の問題には、私は、イデオロギーではなく純粋に自分の頭で考えて結論を出したいのである。


ところが、ある種の「運動」というのはそれを許してくれない。結局、イデオロギーを背景にする集団がそれを仕切っていることが多いからだが。
左右問わず、何か個別の問題について運動している人々は、それにとどまらず他の問題についても、イデオロギーの観点から旗幟を鮮明にしていることが多い。そしてその場合、判で押したようにみんな意見が同じであることが多い。

そういうのがいい、という人もいるのだろう。自分でいちいち考える必要がない、楽だからだ。
でも、私には、それはとても窮屈な立場のように思える。
それが、私が「運動」から距離を置く最大の理由である。


うだうだと書いたが、なんとなく言いたいことは伝わるだろうか。

 

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論

新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論

文化活動と政治活動

昔、ある劇団にいた。
その時のことを書こうと思う。


ちょうど「国旗・国歌法」が制定されようか、という頃。突然、劇団の主宰者から電話がかかってきた。
まだ次の公演の稽古もはじまってないのになんだろうか、と思って電話に出たら、こんな風に語り始めた。

「あのさ、今度『国旗・国歌法』てのが成立するとか言ってるでしょ?」
「なんかそうみたいですね。」
「あれの反対署名のお願いが知り合いから来てて、署名しようと思うんだけど、君も署名しない?」

なんかなー、そういうことか、と私は内心少しうんざりした。

「いや、申し訳ないですが、それはやめておきます。」
「どうして?」
「うーん、話すと長くなりそうなんですが…要は、なんかそういう『運動』みたいなものとは、できる限り距離を取りたいと思ってるんですよ。それに、」
「それに?」
「我々は芝居やってるわけじゃないですか。」
「そうだね。」
「ちょっと大袈裟な言い方かもしれないけど、表現手段を持ってるわけですよね。」
「そうだけど。」
「せっかく表現手段があるわけだから、社会になにかもの言いたいんだったら、その手段を使うほうをまず先にしたほうがいいんじゃないですか? 署名集めとかより。」
「いや、でもさ、この法律ができたら、そんな芝居とかできなくなったり、自由にもの言えなくなったりするような、そういう社会になるかもしれないんだよ。」
「それこそ大袈裟ですよ、それは。」
「そうかなあ。」
「そうですよ。でも、万が一本当にそんなことになったら、それこそ演劇の出番なんじゃないかと思うんですよ。」
「ええ?」
「演劇とレジスタンス活動って相性いいんですよ。なんでかというと、台詞の字面の意味とは全然別の意味とかニュアンスとかを、その気になれば付け加えられるでしょう? 当局からなんか言ってきても言い逃れしやすいんです。実際のところ、すべての劇団の全公演に、いちいちエージェント送り込んで監視できるほど暇な秘密警察はありませんし。」
「うーん…」
「今(この会話がなされた当時)のローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、あの人はポーランド出身ですけど、若いころナチスドイツ占領下のポーランドでアングラ演劇してたんですよね。当局に目をつけられないように、文字通りアングラ(地下)で活動してたんです。そういう人もいるんですよ。」

ここまで言うと、さすがに向こうもさじを投げたのだろう「わかったよ、きみには頼まないから」とか言って電話を切った。


「戦争に反対する文学者のなんたら」とかいう声明文を出しているのをみたり、あるいは高名な文学者や音楽家が、反原発デモに参加しているのを見たりすると、私は上記の、昔の自分のエピソードを思い出すのだ。
たとえて言うなら、プロ野球選手が、野球ではなく、野球ほどは得意ではない別の競技でわざわざ勝負しようとするようなものではないだろうか。そういう機会が本当にあったとしても、おそらく「お遊び」「レクリエーション」以上のものにはならないだろう。

あるいは本当に、そうした政治的な運動に参加する文化人は、じつは内心では一種のレクリエーションとして割り切っているのかもしれない。でも、そうだとすれば、こちらとしてはますますそんな活動につきあう義理はない、ということになる。

そうではないだろうか。